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2009年10月21日

所有しているゲーム雑誌から20世紀ゲーム年表を作ってみた

部屋が荒れ放題なので、さすがに掃除を始めますた。
1番困っているのがゲーム雑誌。保管場所がなく、泣く泣く処分していったりしたんだけど、それでも厳選して保管してきたゲーム雑誌がまだ100冊以上・・・・うーむ・・・。









そこでピンときた。
ブログでゲーム年表を作って、抜粋した雑誌は処分すればいいのだ。
そういうことで、すべて目を通し、20世紀ゲーム年表を作ってみた。昔、ところどころで抜粋させてもらったりしたところもあるんだけど、まとめってことで。

注意点は、今回、まったくネットを使ってないところ。だから、どこまで正しいのか私にもまったくわからない部分がある。たとえば、同じイベントでも、ゲーム雑誌によって半年とか、酷いときには1年とか誤差があったのが多々見受けられた。「コレ、どっちが正しいねん!」みたいな。たぶん、編集の段階で間違えたんだろうけど。そういうのは私のカンで選んでいる(オイ)。

それと、私が所有しているゲーム雑誌からの引用なので、すべてのゲーム年表ではないということをご理解願いたい。たとえば、実際は発売されているハードや、メーカーのことが書かれてなかったり、エレメカやPCゲーム関係もほとんど書いていない。また、超古いゲーム雑誌からの引用もあるため、現在とは違う部分もあるかと。



以上のことから、この年表すべてを信用するのは危険。さすがに全部は抜粋できないのでハショったところもあるし。気になったところは、ネットのウィキペディアなどで確認したほうが無難っス。











それでははじまり


















1946年

東京通信工業(のちのソニー)設立







1949年

世界初のコンピューターゲーム「Bouncing Ball」開発
米マサチューセッツ工科大学のLincoln研究所にて、開発されたデモプログラム「Bouncing Ball」がはじめてのコンピューターゲーム。WhirWindという真空管コンピュータで動作した。自分で操作するわけではなく、画面上をボールが跳ね回る様子を見ているだけなので、これがゲームといえるのか?と聞かれると微妙なところ。







1950年

東京通信工業、日本初のテープレコーダー発売

祖父、積良が他界し、22才だった孫の山内博が早稲田大学を中退後、任天堂社長に就任








1951年

レメーヤー&スチュアート社(のちのセガ)設立







1952年

はじめてディスプレイに出力されたゲーム「Tic-tac-toe」登場
ケンブリッジ大学のA.S.Douglasによって、世界初の実用的なプログラム内臓方式の電子計算機EDSAC(エドサック)というコンピュータで開発された。「Tic-tac-toe」は、日本でいう○×ゲームをコンピュータと対戦できるようにしたものである。







1954年

レメーヤー&スチュアート社、社名を「サービスゲーム」に変更(これがセガの社名の原型となる)







1955年

東京通信工業、日本初のトランジスタラジオ発売

中村製作所(のちのナムコ)設立








1958年

ウィリー・ヒギンボーサム世界最初のテレビゲームを制作
オシロスコープを使ったテニスゲームらしい。


東京通信工業、社名を「ソニー株式会社」に変更
東京通信工業は自社製品に「SONY」のブランド名を付けていたが、この年に社名を改称。







1962年

マサチューセッツ工科大学のスティーブ・ラッセルがPDP-1というミニコンピューターで世界初のシューティングゲーム「スペース・ウォー」が作られる







1965年

サービスゲーム、ローゼン・エンタープライゼスを吸収し、社名を「セガ・エンタープライゼス」に変更







1971年

世界初の商用アーケードゲーム「コンピュータースペース」登場
ユタ大学工学部に在学中だったノラン・ブッシュネル(アタリの創業者)が、「スペース・ウォー」の面白さに魅了されて開発を始めたと言われている。ゲーム内容もスペース・ウォーと似ており、制限時間内に敵を避けて撃ち落とすというシンプルな内容。







1972年

マグナボックス社がサンダース・アソシエイツ社の特許を買い取り、世界初家庭用テレビゲーム機オデッセイを発売
もともとはドイツ人のRalph Baerが自作したゲーム機が元となっている。Ralph Baerは1966年頃から製作したゲーム機を各社に持ち込んでいたが採用されず、1971年になってようやくマグナボックス社から製品化の話が上がった。カートリッジ式を採用していたが、挿し込むことで本体の回路が切り替わるだけの仕組みで、ファミコンのようにカートリッジにソフトを内蔵していたわけではない。また、オデッセイのテーブルテニスゲームは、のちにアタリ社が発売し大ヒットする「ポン」にヒントを与え、模倣された。この動きを受けてマグナボックス社は、1974年にアタリを提訴し、最終的にライセンス料70万ドルを獲得している。


ノラン・ブッシュネルがアタリ社を設立。アーケードゲーム「ポン」を発表
年間320万ドルもの売り上げを記録。翌年、セガ、タイトーにパクられる。







1973年

セガ、「ポントロン」発売。タイトー「エレポン」発売
これが国内初のビデオゲームとなった。


ハドソン設立
アマチュア無線ショップとして札幌で設立。パソゲー時代に人気を得、ファミコン初のサードパーティとなる。PCエンジンで「ボンバーマン」「桃太郎シリーズ」「天外魔境シリーズ」など名作をリリース。97年にメインバンクだった北海道拓殖銀行が破綻し、資金繰りが困難になり、2001年にコナミの子会社となる。







1974年

アタリ、ポンの家庭用ゲーム機を発売
年間で4千万ドルの売り上げを記録。







1975年

エポック、「テレビテニス」発売
対戦ができる日本初の家庭用テレビゲーム。残像が強烈に残るため、目に悪かった。同年、アタリ社のポンも輸入され発売された。







1976年

アタリ、ブロック崩し「ブレイクアウト」発売







1977年

エキシディ社、風船割りゲーム「サーカス」発表

アタリ2600(VCS)発売

全世界で1500万台売れた伝説のゲーム機


任天堂、カラーテレビゲーム6、カラーテレビゲーム15発売

宮本茂、任天堂に入社








1978年

光栄マイコンシステム(のちのコーエー)設立

タイトー、「スペースインベーダー」発売

アタリのブレイクアウトをもとに、キャラクターをインベーダーに置き換えて開発した日本初のSTG。タイトーがテーブルタイプのきょう体をリリースしたことから人気が爆発。一大ブームをまき起こす。「インベーダーハウス」が各地に乱立し、コピー品も大量に出回ることになった。「スペースインベーダーパート2」も完全にコピーされたため、79年にタイトーが訴訟。プログラムに対する著作権の侵害が決め手となり、提訴したタイトーの勝利に終わる。


日本初のビデオゲーム攻略漫画「ゲームセンターあらし」登場
コロコロコミックの読み切り漫画として掲載されたのが初。内容は、主人公の石野あらしが「スペースインベーダー」「ギャラクシアン」など、当時人気のあったアーケードゲームをライバルとハイスコアを競うといったもの。漫画中に発動する「炎のコマ」「ムーンサルト」「水魚のポーズ」などの必殺技をマネする小学生も続出。1983年まで連載。


11月:工学社、初めてのパソコン雑誌「I/O」創刊
当時はパソコン雑誌ではなく、「マイコン雑誌」と呼ばれていた。技術系の記事が大部分を占めていたが、その後、ゲームの投稿も増え、一時代を築く。







1979年

ナムコ、ギャラクシアンを発売


ソニー、「ウォークマン」を発売

「いつでもどこでも音楽が楽しめる」という、当時としては斬新なアイデア商品。口コミで人気が広がり、発売から2ヶ月で初回生産分の3万台を売り切った。ちなみに、ウォークマンは和製英語であり、このようなインチキなネーミングを問題視する人もいたが、結局全世界で通用する言葉となる。


「機動戦士ガンダム」放送開始







1980年

ナムコ、「パックマン」発売
アーケードゲームでもっとも売れたナムコの作品(80年〜87年で293.822台)としてギネスブック入りしているらしい。


4月:任天堂、ゲーム&ウォッチを発売
開発者は横井軍平氏。1200万台を売り上げて40億円近い資金ができる。ドンキーコングの十字キーは、のちのファミコンの誕生に大きく貢献。国内で33タイトルがリリースされた。


東大生が開発した初の商用ゲーム「平安京エイリアン」登場
1979年、東大論理科学グループ(TSG)が開発し、翌年電気音響株式会社から発売された。アーケードでは初の2人同時プレイをサポートしていたゲームでもある。ちなみに、「源平討魔伝」「暴れん坊天狗」などを手がけた中潟憲雄氏のカミさんの兄がTSGのサークルメンバーであり、平安京エイリアンのプログラマーだったことから意気投合し、GB版平安京エイリアンの話がまとまったらしい。


NOA(任天堂アメリカ)設立

ウィザードリィ、ウルティマ発売








1981年

7月:エポック、カセットビジョン発売
テレビテニスのヒットを受けて生み出され、「カセットを交換すれば別のゲームが遊べる」というカートリッジ方式を採用。日本において45万台普及した。


パックマン事件
パックマンの違法コピー品を無断で設置していた喫茶店をナムコが訴えた事件。訴えた論拠が「映画の著作物の上映権侵害」だったため、裁判では「ゲームは映画の著作物なのか」が論点となった。被告側は「スペースインベーダーパート2」の裁判で確立されていたプログラムの著作権や、ゲームと映画の流通形態の違いを反論として持ち出しているが、どちらも却下されている。ゲームは映像と音楽で内容を表現するため、たとえプログラムが違っても映像と音楽が同じなら著作権侵害になる、と初めて法的に認めた一件になった。


アーケード版ドンキーコング発売


日本ファルコム設立

「ドラゴンスレイヤー」をヒットさせた後、1985年の「ザナドゥ」は40万本を超える販売本数を記録。その後も「イース」「ソーサリアン」などヒット作を連発し、パソゲーメーカーのトップブランドへ上り詰める。しかし、看板だったクリエイター木屋善夫氏の離脱、パソゲー市場の衰退とともにリメイク商法に走るようになる。







1982年

9月:エニックスが「ゲーム・ホビープログラミングコンテスト」を開催
堀井雄二、中村光一、森田和郎といったそうそうたる人材を発掘したコンテストとして有名。週間少年ジャンプのライターだった堀井雄二氏がコンテストに応募すると「ラブマッチテニス」が入選。当時、高校生だった中村光一氏(現チュンソフト社長)は「ドアドア」で優秀賞を受賞した。


アタリショックが起きる
アタリ2600のソフトがクリスマス商戦をさかいにピタリと売れなくなり、発売元のアタリ社が莫大な負債を抱えて倒産に追い込まれた歴史的事件。クソゲーが市場に氾濫し、どれを買ってもハズレという寒さのためユーザーに見捨てられる。この教訓から、任天堂は表向きは「品質管理」、本音は「一社独占支配」の必要を学んだという。


バンダイがインテレビジョンをマテルから輸入し、49800円で発売

トミー、日本語BASICを搭載した「ぴゅう太」発売

バンダイ、高速船を発売

タカラ、ゲームパソコン発売

コモドール、マックスマシーン発売

ヤマギワ電機、ダイナビジョン発売

PC-8011発売








1983年

電友社のソフトウェア部門として「スクウェア」発足

任天堂がファミリーコンピューターを発売。初年度の販売台数は44万台。

バンダイ、アルカディア発売

アタリ、アタリ2800発売

ナムコ、ゼビウス発売

エポック、カセットビジョンJr.発売

タカラ、M5発売

セガ、SG-1000発売

池上通信、「ドンキーコング」をコピーしたとして、任天堂を著作権法違反で告発








1984年

セガ、CSKグループに編入

セガ、セガ・ヨーロッパ設立

チュンソフト設立

「ドアドア」の大ヒットで得た資金を元に中村光一氏が設立。ファミコン版「ドアドア」、「ポートピア連続殺人事件」のあと、「ドラゴンクエスト」のプログラムを担当したことでその名を世に知らしめる。SFCで初の自社ブランド「弟切草」をリリース。その後、「かまいたちの夜」、「不思議のダンジョンシリーズ」などヒット作を連発。2005年にドワンゴの子会社となる。


エポック、スーパーカセットビジョンを発売


12月:日本ソフトバンク、はじめてソノシートを付録にしたゲーム雑誌「Beep!」創刊

セガのバイブルと呼ばれていた雑誌。時代とともに誌面リニューアルを行い、「Beep!メガドライブ」「セガサターンマガジン」「ドリームキャストマガジン」「ドリマガ」「ゲーマガ」と誌面を変更し、刊行された。







1985年

エポック、日本初めてのROMカートリッジ式携帯ゲーム機「ゲームポケコン」発売
ゲームポケコンの大きさは初代ゲームボーイの2倍以上。携帯ゲーム機とは言うものの、とても気軽に持ち歩けるサイズではなかった。発売後もそれほど注目されることもなく、「ポケコンマージャン」「ポケコンリバーシ」「アストロボンバー」「ブロックメイズ」「倉庫番」の5本をリリースしたのみで市場から撤退。


ゲームアーツ設立
デビュー作の「テグザー」で世間にその名をとどろかせ、80年代のパソゲー界をリードした。2005年にガンホーの子会社となる。


任天堂、スーパーマリオブラザーズ発売
ご存知、世界でもっとも売れたゲーム(国内681万本。世界で4024万本)。


世界初の体感ゲーム「ハングオン」発売


ハッカーインターナショナル発足


7月:第一回ハドソン全国キャラバン開催

第一回の公式ソフトはファミコンの「スターフォース」。ちなみに、高橋名人は「チャンピオンシップロードランナー」の全50面を1番最初にクリアした人物である。このゲーム、10面〜49面までのパスワードを送ると、早解きコンテストの審査委員会から「チャンピオンカード」という認定証が送られてきた。その認定証には早く認定された順に登録番号がふってあったが、登録番号が1番だったのは高橋名人。


7月:徳間書店、日本初のファミコン専門誌「ファミリーコンピュータマガジン」創刊
この雑誌以前にもゲームを扱った雑誌としては「Beep!」「ログイン」「コンプティーク」などがあったが、家庭用ゲーム(ファミコン)専門誌は「ファミリーコンピュータマガジン」が初。任天堂公認の雑誌であり、攻略記事が豊富。特に人気だったコーナーがウルトラテクニック(通称ウルテク)。今で言う裏技を扱うコーナーだが、中には他紙のパクリを防止するための「ウソ技」も含まれており、毎回どれがウソ技なのかをクイズにして掲載していた。1997年に「ファミマガ64」に変更したのち、1998年に休刊。


10月:セガ、セガマーク3発売
マーク3はSG-1000と互換性がある画期的なハード(互換性があるハードは国内初。一部のソフトはグラフィックが変化する)だった。マーク3のソフトにはカード型のカートリッジ(マイカード)と、容量の大きい1MB以上のソフトに対応したカートリッジ(ゴールドカートリッジ)が存在したため、カートリッジの差込口は2つ用意されている。海外では「マスターシステム」の名称で発売されたが、のちに日本でもFM音源に対応したマスターシステムが発売された。







1986年

アトラス設立
元テクモのスタッフによって設立されたアトラスは、当初はナムコやジャレコなどの下請けとしてFCソフトを作っていた。「女神転生」のヒットにより、開発だけでなく販売も行うようになり、その後「真・女神転生」で人気を不動のものとする。「プリント倶楽部」の大ヒットも記憶に新しい。2003年にタカラの連結子会社になる。


2月:任天堂、ディスクシステム発売
ディスクライターで、書き換えが可能なディスクカードの特性を生かし、500円で新しいゲームを入手できるようにしてくれた。しかし、このディスクライターを利用した良心的なサービスは大きなマイナス要素があった。それはメーカーやショップがほとんど儲からないということ。一説によると、ユーザーが支払う代金のうち、300円は任天堂が、そして残り200円をメーカーとショップが折半していたらしい。任天堂が「今後、ディスクでしかソフトを出しません」と売り出したディスクシステムだったが、ウリの「大容量」は集積技術向上のためにROMに追い抜かされ、バッテリーバックアップ搭載のROMカートリッジも登場していったことからメリットはなくなった。「著作権は折半」という契約を押し付けたおかげで本数は伸びず、衰退していくことになる。初年度の売り上げは224万台。


4月:新声社、アーケード専門誌「ゲーメスト」創刊
ゲーメストが出る以前は、アーケードの情報が知りたければ「マイコンBASICマガジン」に掲載されているわずかな情報を頼りにするのが一般的。誤植が多かったのも有名(代表的な誤植は「ザンギュラのスーパーウリアッ上」など)。1999年8月に新声社の倒産とともに廃刊。廃刊後はスタッフの一部がアスキーに移り、同社から「アルカディア」が創刊された。


5月:エニックス、「ドラゴンクエスト」発売
ドラクエ1の初年度の出荷は70万本。当時としては大ヒットとは言えなかった。
その理由は、

堀井雄二=週間少年ジャンプのライター

鳥山明=ドラゴンボールの漫画家

最初に情報が出る媒体=週間少年ジャンプ(堀井雄二(ゆう帝)が担当したファミコン神拳)

という、ガチにジャンプよりだったので、ゲーム雑誌の反発を買って扱いが小さかったため。口コミで広がり、最終的には150万本のセールスを記録。


6月:ファミコン通信創刊

6月:日本初のゲーム原作アニメ「スーパーマリオブラザーズ〜ピーチ姫救出大作戦」公開

松竹系で公開されたこの映画がゲームをアニメ化したはじめての作品である。内容はマリオとルイージがクッパにさらわれたピーチ姫を助けるといったもの。マリオは古谷徹、ルイージに水島裕、ピーチ姫に山瀬まみ、クッパは和田アキ子が声を担当。


ハッカーインターナショナル、ファミコンにて様々な非公認ソフトを販売開始







1987年

任天堂、ディスクファクスサービス開始
任天堂とイマジニアが協力して開発したサービスで、全国のプレイヤーと腕を競えるという史上初のシステム。ディスクのデータを任天堂に送り、「ゴルフUSコース」や「3Dホットラリー」など、ランキングの発表が行われた。しかし、対応ソフトは5本しかなかった。もしこのランキング制度がより多くの作品で行われていたら、いまやアーケードやPCの世界では定番となった全国ランキングはもっと早くに根付いていたかもしれない。翌年88年にサービス終了。


ドラクエ2事件
ゲーム雑誌「ハイスコア」が、エニックスがまだ掲載許可を出していない場面の画面写真を公開し、問題となった事件。この裁判でハイスコアは、以後「ドラクエ2の画面写真を掲載してはならない」という判決を受け、廃刊に追い込まれた。


10月:NECホームエレクトロニクス、PCエンジン発売

12月:ファイナルファンタジー発売

セガ、マスターシステム発売

アイ・ツー主催の第一回ファミリーコンピュータソフトウェアコンテスト開催








1988年

セガ、アーケード版テトリス発売

セガ、UFOキャッチャー発売

2月:ドラゴンクエスト3発売

徹夜で販売店の前の行列に並び、学校をサボって買いに行った小学生〜高校生が全国で392人も補導された。さらに、ソフトを奪われたり、万引きしたりする事件が起きるなど、社会問題に発展。新聞やニュースで採りあげられた初めてのソフトである。ちなみに、「交響曲ドラゴンクエスト3 そして伝説へ・・・」は、指揮すぎやまこういち、演奏NHK交響楽団による楽曲で、第30回レコード大賞の特別賞を受賞した。ゲーム業界初の快挙である。


アーケードで日本初のポリゴンゲーム「ウイニングラン」登場
ちなみに、3Dテクスチャマッピングを採用したゲームは1993年の「リッジレーサー」。オープニングに登場する永瀬麗子のCGも話題になった。


10月:セガ、メガドライブ発売
ファミコンとPCエンジンに対抗すべく、セガから発売された日本初の家庭用16ビットゲーム機。セガハードとして初めてサードパーティのソフト提供を開始したハードでもある。キャッチコピーは「時代は、すでに16ビット」。


12月:NECホームエレクトロニクス、PCエンジンCD-ROMROM発売
PCエンジンの周辺機器として発売されたCD-ROMROMが世界初のコンピュータ用CD-ROM機器となった。大容量がもたらす高品質のビジュアルとサウンドは、当時のROMカセットとは比べ物にならない。しかし、ハード末期になると、せっかくの大容量は一定数の売り上げが見込めるギャルゲーに使われだす。同時発売されたソフトは「No・Ri・Ko」「ファイティングストリート」。


アタリ、ファミコンプロテクト用の特殊チップが組み込まれているのは独占禁止法違反として任天堂を訴える
この訴えに対し、逆に任天堂は特殊チップをコピーして不法にファミコンソフトを販売したとしてアタリを訴える。この裁判は任天堂の勝利に終わった。







1989年

テトリス事件
もともとテトリスの版権は、作者のアレクセイ・パジトノフ氏が住んでいた旧ソ連の外国貿易協会(ELORG)が持っていたが、それをイギリスのミラー社がハンガリーのソフトウェア会社を通じてライセンスを取得し、ヨーロッパで家庭用、業務用のテトリスの製造、販売を行った。これを受けてアメリカのアタリ社とその子会社テンゲンは、ミラー社からライセンスを取得し、アタリ社が業務用、テンゲンがNES(アメリカ版ファミコン)用を売り出した。

そしてさらに、アタリ社からセガが業務用とメガドライブ用テトリスの権利を、BPSがテンゲンからファミコン用とパソコン用の権利を得てそれぞれ開発を進めるが、任天堂がゲームボーイでテトリスを発売する際に版権問題を再調査した結果、ミラー社が最初に取得していた権利は、「パソコン用」の権利だったことが判明。任天堂は旧ソ連の外国貿易協会ELORGから新たにパソコン用と家庭用テトリスの版権を取得し販売するに至ったが、この事実が判明したため、先に権利を得ていた他の会社は痛手を被ることになる。

任天堂がゲームボーイでテトリスを販売するに至り、アタリ社は任天堂を著作権侵害で訴えるも、ミラー社が取得していた権利は「パソコン用」の権利だったことが判明したことで敗訴。それによって、アタリ社から権利を取得していたセガとBPSも、販売を止めることになる。特にセガの被害は甚大で、メガドライブ用のテトリスは開発も終了し、生産していたにもかかわらず、販売を断念したのであった。


4月:任天堂、ゲームボーイ発売
テトリスを皮切りに次々とヒット作をリリースし、通信ケーブルを使用した対戦プレイでその人気を不動のものにした携帯ゲーム機界の帝王。90年代半ばには、ハードの存続が危ぶまれるも「ポケットモンスター」の爆発的大ヒットにより、不死鳥のごとく蘇る。その後、モデルチェンジを繰り返し、全世界で1億台以上を出荷した。キャッチコピーは「君となら、どこまでも」。


任天堂がハッカーインターナショナルの販売したソフトを巡って商標権侵害を訴え販売差し止め要求


ナムコ、任天堂の規制システムに抗議したが屈服

ファミコンのサードパーティの場合、ROMカートリッジの生産は自前で行えず、任天堂に委託生産を義務付けされていたが、ナムコは自社ラインで自由に作れる特権が認められていた。しかし、6年の契約が切れると、任天堂はこの特権を取り上げようとした。これが任天堂とナムコの訴訟沙汰に発展。結局はナムコの敗訴に終わる。これがのちにソニーに寝返るキッカケとなる。ちなみに、当時は「ナムコが見捨てたハードは廃れる」というのが業界のジンクスになっており、この噂がハードの衰退を早めるキッカケになったこともあった。


11月、リンクス発売
世界初のカラー携帯ゲーム機。日本ではまったく売れなかった。
キャッチコピーは「リンクスショック!!刺激的に」。


12月:スーパーマリオクラブ発足







1990年

2月:ドラゴンクエスト4発売
ドラクエ3騒動にこりたエニックスは、発売日を日曜日にズラした(普通は金曜日発売)が、ゲーマーは2日前から並び始めたため解決にはならなかった。大手のディスカウントショップでは、発売前日の夕方には3000人近くが大行列を作ったという伝説がある。


4月:SNK、ネオジオ発売
当初はレンタル専用だったが一般販売を開始。非常に高価だったが、アーケードゲームが家庭で遊べるということに加え、SNKが「ソフトは他のハードには移植しない」と公言したので、コアなユーザーに支持された。しかし、しばらくすると状況は一変。SNKはセガとタイアップして、セガハードで次々とソフトを発売し始める。最終的にはPSにも移植された。キャッチコピーは「凄いゲームを、連れて帰ろう」。


10月:セガ、ゲームギア発売
セガ初の携帯ゲーム機。バックライト付き3.2インチSTNカラー液晶を採用し、当時としては最先端のスペックを誇る。ちなみに、ゲームボーイでは横井軍平氏が「付けてもコストがかからない」という理由で通信機能を付けたが、ゲームギアに通信機能を付けた理由は「なんとなく」らしい。「beep!メガドライブ」で1番読者人気が高かった作品は「魔導物語1 3つの魔導球」。キャッチコピーは「比べて見ればゲームギア!!」。


11月:PCエンジンGT発売


11月:任天堂、スーパーファミコン発売

回転、拡大、縮小機能を搭載し、ファミコンからグラフィック、サウンドを大幅に進化させた16ビットゲーム機。実は70%がソニー製部品。キャッチコピーは「Super Synergy」。


11月:セガ、はじめてのゲーム配信サービス「ゲーム図書館」をスタート
メガドライブ用周辺機器としてメガモデムが1990年11月に発売。これを利用すれば、電話回線を通して通信対戦やゲームの配信を受けることができた。月額800円を支払えばオリジナルゲームをダウンロードして遊べる。このときに配信されたソフトは、メガCD用「ゲームのかんづめVOL1.&VOL.2」(ともに1994年3月18日発売)として発売されている。


CD-ROM機開発で、任天堂とソニーとの提携が発表







1991年

セガ、テラドライブ発売

セガ、メガCD発売

メガドライブ用の外付けCDドライブ。回転機能、MD本体の1.5倍速いCPUを搭載。


7月:メディアックス、はじめてのエロゲー専門誌「パソコンパラダイス」創刊
これまで1コーナーでしか扱われなかったエロゲー情報を専門に扱い、以後続々創刊されるギャルゲー、美少女、萌え系雑誌の先駆けとなる。現在も根強いファンを抱えている。


アーケードに「ストリートファイター2」登場

任天堂、NES用改造ツール「GameGenie」が著作権を侵害するものとして販売差し止め要求

結果は任天堂敗訴。ゲーム改造ツールはゲームの著作権を侵害するものではないという判決が出た。







1992年

コイル氏事件勃発
セガがアメリカの個人発明家ジャン・コイル氏に特許侵害で訴えられ、約57億円賠償を支払わされた事件。問題の特許は、「低周波音声信号を使ったカラー画像表示技術」というあいまいな内容で、ほとんどのテレビゲームが引っかかることになる。実際、任天堂も同じ特許で訴訟を起こされたが、和解で決着。裁判慣れした強さを見せつけた。


HAL研究所の「ティンクル☆ポポ」発売中止
任天堂の人気シリーズ「星のカービィ」は、もともとは1992年1月下旬にHAL研究所から「ティンクル☆ポポ」という名称で発売される予定だった。しかし、HAL研究所が経営危機に直面したことを受けて、「ティンクル☆ポポ」は任天堂に引き上げられ、その際に名前が「星のカービィ」に変更。昔のなごりが「☆」だけというのは悲しい。


「竜虎の拳2」のユリ・サカザキの声を浜崎あゆみが担当
浜崎あゆみは15歳で東京デビューを飾ったが、竜虎の拳のテレビCMでユリ・サカザキの声を担当していた・・・・・という事実は「なかったこと」になっている。


「任天堂とソニーがCD-ROM互換機を共同開発し、任天堂が93年8月に発売する」との記事が日経新聞に掲載される


ビクター、ワンダーメガ発売

定価21000円のメガドライブと、50000円弱のメガCDをドッキングさせると、あら不思議82800円だとざけんなコノヤローなハード。ツインファミコンもそうだったが、ドッキングすると高価になるようである。日本ビクターからも発売され、AVメーカーらしくMIDI端子もついている。構造上、スーパー32Xを付けることは無理だが、5000円払えば工場で改造してもらえた。ただし装着中はCDドライブのフタが開かない。







1993年

ファイターズヒストリー提訟
カプコンがデータイーストの格ゲー「ファイターズヒストリー」が「ストリートファイター2」に酷似しているとして提訟。この訴えに対してデータイーストは1984年に自社で出した「対戦空手道」こそが最初の格ゲーであり、他の格ゲーは「スト2」も含めてその発展系に過ぎないと反論。裁判は泥沼の様相を見せるかと思われたが、カプコンが訴訟を取り下げて和解。「確かに似てはいるが、著作権法に合わせてそれを証明し、権利侵害だと認めさせるのは難しい」というのがカプコン側の和解理由だった。一説によると、「プログラムコードの無断借用が原因」とも言われている。


セガ、メガドライブ2発売
メガドライブの小型版。後に出ているのにヘッドホンの音質は劣化している不思議なハード。


メガCD2発売
メガCDの小型版。と言いながら、初代メガドライブに接続したときの面積の広さを何とかしろといいたい。


アタリ、ジャガー発売
日本ではリンクス以上に販売店が少なく、本国アメリカでもSNES(アメリカ版SFC)、ジェネシス(アメリカ版メガドライブ)の激しいシェア争いに入り込む余地もない。性能を上げるべくCD-ROM搭載のジャガーCDを発売するもまったく売れなかった。


ワンダーメガ2発売


レーザーアクテイブ発売

パイオニア製のレーザーディスク一体型ハードで、MEGA-LD PACをセットすると、メガCDのソフトが遊べた(この状態をメガLDと呼ぶ)。


SCE設立
任天堂と組んでSFCと互換性のあるCD-ROMを作ろうとしたが、もろもろの事情により破談。そこでソニーは自らゲームマシンを出すということになった。そのために設立されたのがソニー・コンピュータ・エンターテインメント(SCE)である。


バーチャファイター発売







1994年

3月:松下電器、3DOリアル発売
松下電器と3DO社が共同開発した日本初の32ビット機ということで話題になったハード。これまでの16ビット機とは段違いの性能を誇ったが、54800円という本体価格がネックとなったこと、PSの「リッジレーサー」、SSの「バーチャファイター」に対抗できるだけのキラーソフトがなかったことが痛かった。同年末、3DOより安いPS、SSが登場すると、世間の注目はそちらに集まり、そのまま3DOは普及することなく市場から消えていく。アインシュタインが出てくるテレビCMだけはインパクトがあった。


SNK ネオジオCD発売


メガCDにソニーからの刺客「爆伝-アンバランスゾーン-」登場

SME(のちのSCE)から発売された伝説のゲーム。総監督に人気バンド「爆風スランプ」、キャラクターデザインにギャグ漫画家の赤塚不二夫を起用。「爆伝」と名づけられたそのゲームは、「読み込み時間が恐ろしく長い」「ギャグのセンスがまったくない」「テンポが悪い」など、クソゲー要素が目白押し。「Beep!メガドライブ」では、「ソニーからの刺客」と書かれて注目を集めたが、PS発売直前にリリースされたことを考えると、爆伝はメガCDを潰すための本当の刺客だったといえる。


11月:セガ、セガサターン発売
ポリゴン機能だけでなく、2D描写性能も優れ、当時の最高水準を誇った次世代ハード。多数のサードパーティが参入し、560万台というセガハード最大の出荷台数を記録。様々なバリエーションのサターンが存在する。キャッチコピーは「64ビット級・ものすごいゲームマシン誕生」。


12月:SCE、プレイステーション発売
世界ではじめて生産出荷累計が1億台を突破した次世代据え置きハード(ファミコンは6291万台、スーファミは4910万台。携帯ゲーム機では、ゲームボーイが2000年に1億台を突破)。印象的なテレビCM(PSのロゴが浮かび上がるアレ)は話題になった。リッジレーサーで勢いに乗り、FF7、ドラクエ7が参入したことで次世代ハードのトップに君臨。キャッチコピーは「1,2,3でゲームが変わる」。


12月:セガ、スーパー32X発売
メガドライブをパワーアップさせる最強最後の追加武装。サターンと同じCPUの「SH-2」を採用した上に32768色を同時発色、PWM音源の搭載など高スペックを誇る。正しい使い方は、メガCDにメガドライブを乗せた上に32Xをセットしてからメガアダプタをつける。これでやたらと威圧感のある巨大戦艦の完成だ。実はPSと同じ発売日で、セガの本命はサターンではなくこちらだった可能性がある(?)。


12月:NECホームエレクトロニクス、PC-FX発売
NECとハドソンが共同で開発したゲーム機。2Dアニメーション機能が強化され、PCエンジンの後継機として発売されたPC-FXは、PC-98と接続できるCD-ROMが発売されるなど拡張性に優れたハードだった。しかし、PSやSSと同時期に発売されたにもかかわらず、当時流行りはじめた3Dポリゴン描写機能が搭載されていないというマイナス点が大きく響き、気がつくとソフトはギャルゲーばかり。その後、NECHEが撤退するとNECもドリームキャストのサードパーティになった。







1995年

7月:任天堂、バーチャルボーイ発売
赤色LEDを使った映像を付属のゴーグルで覗き込むことで3Dゲームが楽しめるということだったが、まったく売れなかった。ソフトも19本。300万台売れると予想していたが、実際は国内15万台、アメリカ70万台。


サテラビューが発売され、「スーパーファミコンアワー」放送開始
サテラビューとは、衛星通信を利用して、「スーパーファミコンアワー」を放送するシステムのこと。1993年、任天堂は、衛星放送セント・ギガに出資し、1日のうち数時間をSFC用の無料放送に割り当てるとの計画を発表。専用カセット「BS-X」のなかにある「名前を盗まれた町」を移動して放送データを取りに行く、という凝ったシステムで、BSオリジナルゲームのダウンロード、対応ゲームのデータ配信や、音声と連動する「サウンドリンクゲーム」を提供した。パーソナリティにタモリや爆笑問題といった豪華なキャストを起用したが、96年3月には番組が終了。任天堂もスポンサーから離れてしまい、2000年にその生涯を終える。


PS、SSともに100万台を突破


社会法人コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)設立

コンピュータソフトウェアに関する調査および研究、普及および啓発などを行うことにより、コンピュータエンターテインメントの振興を図る目的で設立。中古ソフト撲滅キャンペーンの印象が強い。ちなみに、アダルトゲームの規制、審査を行う機関は「ソフ論」(コンピュータ倫理機構・・・・・モザイクをかけているのはこの団体か!)、家庭用ゲームの審査を行うのは「CERO」(コンピュータエンターテインメント機構)である。







1996年

2月:任天堂、ポケットモンスター発売

3月:バンダイ、はじめてインターネット接続機能を搭載したゲーム機「ピピンアットマーク」発売

同社が運営していた「アットマークチャネル」に入会すると、ダイヤルアップ接続でインターネットに接続できた。インターネット接続機能を搭載したゲーム機は日本初である(セガサターンのほうが本体自体の発売は早かったが、セガサターンモデムが発売されたのは96年7月27日)。このゲーム機はマッキントッシュに互換性があり、マック用のゲームも遊ぶことができたものの、まったく売れずに大赤字を生み出した末に撤退。


ワープ、エネミーゼロ事件
「Dの食卓」の生産本数が削られたことを「機会損失だ」と怒った飯野賢治氏は、それまでPS用として開発していた「エネミーゼロ」をサターン用に変更すると発表。「プレイステーションエクスポ」の会場で、ロゴがPSからSSにモーフィング(自作)するデモまでつけて、場内が騒然となった事件。ちなみに、エネミーゼロにはスペシャルボックス版という限定版が存在し、飯野賢治氏本人が直接購入者に配送するというものだった。価格は20万円。


公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いでSCEIに立ち入り調査
SCEIがプレステ本体およびソフトの定価販売を小売店に求める「ヤミ再販」をしていた疑いで、公正取引委員会が本社と販売会社など数十箇所の立ち入り検査に踏み切った事件。SCEIは、問屋を通した抱き合せ販売などの悪しき習慣をなくし、みずから一次卸として小売店と直接取引きをするシステムに切り替えて、任天堂の「初心会体制」にウンザリしていた業者から好意的に迎えられた。しかし、発注本数の見込み違いは後を絶たず、不良在庫は増えるいっぽう。もともと「順調に売れる」との前提あってこその低価格(SFCと比べて)だったので、値崩れが始まればダメージは深刻となる。


6月:任天堂、ニンテンドウ64発売
日本初の家庭用64ビットゲーム機。任天堂ハードとしては、初の本格的な3DCGが動くゲーム機だったが、ドラクエやFFなどが多機種に移ったことなど、様々な理由によって、任天堂は家庭用ゲーム機のトップシェアの座を明け渡すことになる(ソフト開発の難しさがメーカー離れにつながったといわれている)。目標は96年末までに360万台だったが、実際は180万台の売り上げ。ソフトの発売本数は多くなかったが、「ゼルダの伝説 時のオカリナ」を始め、名作を多く生み出した。


11月:バンダイ、たまごっち発売
発売直後に大ブームになった携帯型のペット育成ゲーム機。品薄により、様々な社会現象を引き起こした。98年までに、約20種類作られた。


セガサターン、X指定を撤廃。最後の作品は「野々村病院の人々」







1997年

1月:デジキューブ、コンビニでのゲーム販売開始
デジキューブはコンビニでのゲームソフト販売を目的に、スクウェアが1996年2月6日に設立した会社で、オリジナルゲームや攻略本の制作、販売を行っていた。同社は2000年6月19日にナスダック・ジャパンに上場したが、わずか3年5ヶ月で自己破産。


1月:エニックス、SCEとサードパーティ契約
97年1月9日にエニックスがプレイステーションへの参入を発表。それに伴い、97年1月14日にシリーズ最新作「ドラゴンクエスト7」がPSで発売されることが明らかとなった。それまで任天堂のハードで発売されてきた同シリーズだが、「いちばん売れているハードで発売する方針(エニックス広報)」に基づき、ハード転向を表明。発表直後、新聞各紙で「ドラクエが電撃移籍」と大々的に報じられた。また、発表直後にサターンにも参入することを明らかにした。


1月:セガバンダイ合併を発表
セガとバンダイが合併を表明。しかし5月には破談。一説によると、バンダイの「たまごっち」が爆発的に売れたため、合併する必要が無くなったからだという。


1月:スクウェア、ファイナルファンタジー7発売
FF7は、どの次世代機を買うか迷っていた浮動票の動きを決定づけた。PSが栄華を極めたのもこの作品の功績が大きい。だが、PS時代のスクウェアには暗い影もつきまとう。「スーパーマリオRPG」や資金援助などで蜜月の関係にあるかに見えたスクウェアと任天堂だったが、FF7の発売を巡り、その不仲が決定的なものとなる。会社設立当時はPCゲーム時代から定評があったが、極端に短くなった新作タイトルのリリース期間の関係で製作を外部に発注することも多くなり、その影響か、社内からも「FF」偏重の姿勢に反発が生まれ、「聖剣伝説」や「ゼノギアス」を手がけたチームなどが離反(ゼノギアスの事実上の続編である「ゼノサーガ」がナムコから発売されたのはそのため)。クリエイターの露骨な引き抜き行為も話題となり、それに歩みを合わせるかのようにソフトの品質も迷走を始めていった。


4月:テレビアニメ「ポケットモンスター」放送開始
12月にてんかん事件が起き、以後のテレビアニメは「テレビは明るくして見ましょう」という字幕がでるようになる。


7月:松下電器が「M2」の発売を断念
3DOリアルの後継機として、松下電器が開発を進めていた64ビットゲーム機M2。このハードの開発を断念することを、松下電器の森下洋一社長が記者会見の席で発表。


9月:ニンテンドウパワーサービス開始
ニンテンドウパワーはSFC用カートリッジの中身を安価で書き換えられるサービスで、白い書き換え専用の「SFメモリカセット」にソフトを書き込むシステム。ローソンに置かれている端末「Loppi」で供給された。メリットは、すぐに生産ができないというROMカートリッジの弱点を克服したこと。しかし時代は次世代機だったこともあり、人気はいまひとつだった。ニンテンドウパワーは2007年2月28日にサービス終了。


10月4日:横井軍平氏死去


12月:プレイステーション、出荷台数が1000万台突破








1998年

3月:任天堂、ゲームボーイカラー発売

3月:SNK、ネオジオポケット発売

SNKから発売された16ビット携帯ゲーム機。十字ボタンにジョイスティックを取り入れているのが特徴。液晶画面の発色も美しく、ユーザーの評判も上々だった。


販売価格を強制するのは独占禁止法違反として、公正取引委員会がSCEへ排除勧告

SCEなど5社が大阪の中古ゲーム屋に販売差し止め訴訟。翌年、差し止め請求権がないという判決が下る。

プレイステーション、生産出荷台数が4000万台突破

11月:セガ、ドリームキャスト発売

量販店がひしめき合う東京秋葉原では前日深夜からゲームファンが詰めかけ、早朝には各店舗で200人以上の行列が発生。午前中には売り切れ店が続出した。発売日早朝には入交昭一郎社長と湯川英一専務(ともに当時)が秋葉原に駆けつけ、購入者にお礼の言葉をかけ、マスコミにアピール。初回出荷は15万台。2001年に製造を中止。セガ最後の家庭用ハードとなる。


12月:SCE:ポケットステーション発売
携帯機ブームに後押しされて登場したポケットステーションだったが、いかんせん対応ソフトが少なかった。ポケステを使うメリットは「ミニゲームをやればアイテムが手に入る」ぐらい。SCEも途中からダメだと察したらしく、PS2を発売する際にはあっさりと切り捨て、完全なPS専用ツールに。結局ポケットステーションは「どこでもいっしょ」専用ハードだった。







1999年

3月:バンダイ:ワンダースワン発売
ユーザーがワンダースワン用のゲームを自作できるツール「ワンダーウィッチ」、インターネットやゲームのオンラインサービスが受けられる「ワンダーゲート」、縦&横画面でプレイできるスタイルなど、携帯ゲームとして画期的なハードだった。また、作成したプログラムを配布、販売することまで許可するなど、様々なアイデアが展開されていたが、ゲームボーイアドバンスが登場すると次第に衰退していった。


3月:SNK、ネオジオポケットカラー発売

7月:コーエーのシブサワ・コウ氏が「決戦」の製作発表会で、始めて公の場に現れる。


12月:任天堂、64DD発売。ランドネットDDサービス開始

ニンテンドウ64のドライブ+モデムがセットになった64DD。リクルートと任天堂の合併会社「ランドネットDD」が設立されたが、いきなりネットワークサービスが2ヶ月も遅れ、申し込んだユーザーの怒りを買う。予定されたソフトの多くは未発売のまま(N64やGCに移行したものもある)。ランドネットはわずか1年でその生涯を閉じた。


12月:堀井雄二氏ブチ切れ事件
堀井雄二氏が自分のHPの掲示板で、ドラクエ7のフライング情報に対する怒りをぶちまけた事件。「発売まで2ヶ月もあるのに今からこれほどバラしていったいこれまで必死で守ってきたものはなんだったんだ!!」と、反省のあとが見られないエニックス広報に厳重注意。その後、書き込みは消されて「なかったこと」になった。


音ゲー特許侵害訴訟
コナミが「ビートマニア」の特許権が侵害されたとして、ジャレコの音ゲー「VJ」の撤去を求めた事件。この訴え自体はすぐに取り下げられたが、「VJ」を直営施設に設置していたナムコにまで撤去を求めたため、結果的にコナミVSナムコの図式に変化。コナミ側はナムコの音ゲー「ギタージャム」の特許侵害を訴え、対するナムコは「実況パワフルプロ野球」でのロード中のミニゲームがナムコの持つ特許を侵害していると反論する。結局は双方の特許権を尊重するという形で和解が行われたが、はたから見ると何とも不毛な争いだった。


ときメモエロビデオ事件
コナミが「ときメモ」をパロった同人エロビデオを「清純なキャラクターの同一性保持権を侵害された」として訴えた事件。結果は同人サークル側の敗訴で、賠償金額は227万円。当時、ときメモのエロパロは人気が高く、金儲けが目的のサークルも多かったことを考えると、エスカレートを懸念したコナミの判断は妥当だろう。


任天堂、「ポケモン」同人誌の作者を訴える
訴えられたサークルは罰金刑に。


ユリ・ゲラー、任天堂を訴える
ポケモンの「ユンゲラー」は自分のイメージの無断使用として任天堂を訴えた。その後、和解が成立。







2000年

3月:SCE、プレイステーション2発売

12月:バンダイ、ワンダースワンカラー発売

任天堂、ファミコン決死隊を訴える

ファミコンのROMを配布していたサークル「ファミコン決死隊」を任天堂が告訴。決死隊は罰金刑に。


SNK、アルゼの子会社に
パチスロ大手のアルゼは、SNKの第三者割り当てを引き受けて、グループ参加に収めた。「家庭用ゲーム市場に進出」と報道するメディアも多かったが、アルゼの前身は名作「Mr.Do!」を作ったユニバーサルで、しかも「パチスロアルゼ王国」は50万本を超えるヒットを飛ばしており、すでに堂々たる家庭用ゲームメーカーだったわけだ。








・・・以上。この他にも年表に入れるべきイベントはいっぱいあるので、暇な人は調べてみるのも一興かと。








おしまい








posted by ふうのしん at 10:45 | Comment(10) | TrackBack(4) | 企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うおお、これは凄いw
95年のエネミーゼロ事件とか、当時は飯野賢治さんも絶好調だったなあ……このエネミーゼロもD2もちと内容が独特過ぎて困りましたが^^;

あ、あと関係ないですが

>朝目シンブン
自分も夏コミで購入しました(何)
Posted by じぇふ茶 at 2009年10月21日 23:02
古いゲーム雑誌はヤフオクでで売れますよ
ファミコン時代のは500円
プレステ初期ぐらいので1冊あたり100円ぐらいですかね
Posted by at 2009年10月22日 16:50
高橋名人のチャンピオンカードの番号は1番じゃないって聞いたが
Posted by 名無し at 2009年10月22日 17:01
セガサターン最後のX指定はホーンテッドカジノですよ
Posted by at 2009年10月22日 20:01
凄いですね。編集お疲れ様でした。(`・ω・´)ゝ

どれも懐かしいです。
【ゲームセンターあらし】の「炎のコマ」練習したり、跳び箱跳ぶ前に
「水魚のポーズ」してみた記憶が蘇りますた(´・ω・`)
Posted by おのじ at 2009年10月22日 20:19
×池上通信
○池上通信機
Posted by at 2009年10月23日 22:25
「ゲームセンターあらし」の「こんにちはマイコン」を見てパソコンの勉強をしました。
なつかしいです。
Posted by chappie at 2009年10月29日 03:14

昨日は女子大生のアンナちゃんと八メ八メしてきたお!!!!

てかアンナちゃんめちゃくちゃイキやすい体質だったよ!!!!
だってチ△ポ奥までズブブって入れただけでイっちゃうんだぜ?www
ピストンしてたら潮 吹きまくってベッドに水たまりができてたし!!wwwwww

ま、オレ 早 漏 だからちょうど良かったけどな!wwwww
二人なかよくドピュドピュしまくりんぐwww(・∀・ )( ・∀・)
http://mono.twwitta.net/w3wgd39/
Posted by 自宅警備員 at 2009年11月07日 08:21
ワンダースワンとアドバンスが逆になってたら
同人ショップにワンダースワンコーナーが出来ていたかもしれないって考えると面白いな
Posted by at 2009年11月13日 03:13
以下の日本語は翻訳エンジンから書きました。

はじめまして。俺は香港人です。
1)ファミリーコンピュータマガジン 1993-21, 22号付録---RPG攻略大全上、下集
2)ファミリーコンピュータマガジン 1993-12号付録---超ウルトラ技' 93
かありますか。

ファイナルファンタジーV攻略 この3冊の本は掲載します。
あのFF5の内容を撮影またはスキャンもいいですか。
俺に伝わることができますか?
あれらの攻略とその他が異なっているためです。
Posted by Kame at 2009年12月21日 12:08
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