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2009年07月11日

ハッカーインターナショナル元社長:萩原暁氏インタビューについて

今回はハッカーインターナショナル元社長萩原暁氏インタビューについて。ゲームラボ2005年10月号「ハッカーインターナショナル伝説」より抜粋。









まずハッカーの歴史を抜粋。








ゲーム業界の常識を覆したハッカー

任天堂が認めた会社以外は参入を許さない。そんな圧制に反旗を翻したハッカーインターナショナル(以下ハッカー)。同社の登場は長いテレビゲーム史のなかでも、とくに重要な意味を持つのだが、その存在は「触れてはいけない黒歴史」のように扱われ、一部の好事家がソフトをコレクションする程度にとどまっているのが現状だ。








沸き立つファミコン市場に殴り込みをかける

ファミコンはその登場以降人気はうなぎ登りで、各社がこぞってソフトを発売し、どれもこれもが数万本以上売れる状況だった。雑誌「ハッカー」を創刊、技術と知識を備えた人材を集めたハッカーは、この市場に殴りこみをかけることになる。

まずハッカーは、「ハッカージュニア」という名のファミコン改造サービスを手掛けた。AV出力と連射機能を備えた高性能ファミコンであった同機は、知名度こそ低いがファミコンに求められた性能を完備しており、ツインファミコンやNEWファミコンが定着するまでのあいだかなり珍重された。

次にハッカーが狙いをつけたのはディスクシステムである。ディスクシステムは、ROMカセットに比べると解析可能な余地が多く、研究が進むと独自にディスクを生産することもできるようになった。そこでハッカーが発売したタイトルが、操作が簡単なディスクバックアップツールの「ディスクハッカー」だった。このソフトを入手すれば小学生でも容易にコピーし放題という恐ろしい環境を作ってしまったのだ。いきなりバックアップツールを販売してしまう意気込みも恐ろしいが、初のインディズソフトにして、高性能なコピー機能を備えていた事実は見逃せない。









ディスクシステムの衰退、新ハードへの参入

ディスクハッカーのバージョンアップ版や、他社のバックアップツールがつぎつぎに登場した結果、ディスクシステム市場は非公式なコピーが蔓延するようになった。任天堂以外のメーカーが生産した多種多様なディスクはファミリーコンピューターマガジンで「ブラックディスくん」と揶揄されるほど広まり、公式にもその存在が危惧されるようになる。任天堂側も対策を立て、ディスクシステム側にハードウェアプロテクトを導入するが、じきにディスクよりROMのほうが大容量になってしまい、ディスクシステム自体が衰退。ハッカーのソフトもROMカセットを中心に発売されるようになっていく。

さらに技術力を得たハッカーは「ゲームエクスプレス」という新ブランドで、PCエンジンにも勝手に参入、テレビCMまで打ってしまう大胆な活動を行う。PCエンジンでは「ハイレグファンタジー」、「ボディコンクエスト」、「ストリップファイター」など、名前からして失笑してしまう怪作を連発。独自開発のシステムカードである「ゲームエクスプレスカード」で起動するCD-ROMのソフトまで発売する始末で、無駄な技術力の高さをユーザーに見せ付けた。この時代の作品「CD麻雀 美少女中心派」は全画面アニメーションが豪快に動く力作で、通称「トゥルーラブ麻雀」としてあまりにも有名だ。


しかし、好調に思えたハッカーインターナショナルという会社の活動は、ここで終わりを迎える。その理由も、他社からの圧力や資金不足による倒産などのネガティブなものではなく、独自に撤退を決めたというところがオモシロい。

その後、ハッカーのゲーム開発は、別会社であるマップジャパンに引き継がれた。同社はハッカーの歴史としては初めての正規参入を行い、PSのライセンスメーカーとして道を歩むことになる。また、エア・プランツというブランドでPC市場にソフトを供給したのもこの時期だが、ハッカーの萩原社長がゲームへの興味を失ったことからマップジャパンもゲーム開発からの撤退を決め、ハッカーの歴史もここで潰えることになった。





ディスクシステムが衰退した理由って、ロムカセットでもバックアップカートリッジの登場とか、書き換えがメーカーの利益にならないとか、ロムカセットがディスクの容量以上になったとか(ちなみに、コナミの「がんばれゴエモン!からくり道中」がファミコン初の2Mソフト)だけだと思ってた。ディスクシステムの衰退にハッカーがからんでいたとは。記事のとおり、当時ファミマガで連載されていた「ディスくんのマンガトピックス」で、主人公ディスくんのライバルとしてブラックディスくんってのが確かにいたけども、あれは任天堂VSハッカーを表していたのか。


トゥルーラブ麻雀はプレイしたことないんだけども、キャデザインが、のちにトゥルーラブストーリーで有名になる松田浩二氏が担当していたからそう呼ばれているらしい。人に歴史ありですな。















ハッカーインターナショナル元社長萩原暁氏インタビュー



もともとはミュージシャンをされていたんですよね?





武蔵工業大学2年のときに初めてエレキギターをもって、それからハマってバンドをやってました。それで大学を卒業して建設会社に入ってから2年目にヤマハのライトミュージックコンテストに応募したら、運がいいことにロック部門の全国大会で優勝しちゃったんですよ。





それで音楽業界に?





すぐには行かずに、まだサラリーマンのままで(笑)。そこで働いていたら、そのコンテストで4位だったダウン・タウンズというヴォーカルがデビューするので、アルバムに参加してほしいと誘われまして・・・。そのヴォーカルの方が吉田拓郎さんだったんです。

それからはギターの先生もやりつつ、そのときの先生仲間でもバンドを組んでました。そのバンドで恵比寿でライブをしていたら、ある日高校生がやって来て「おじさんギター下手だね」って言うんですよ。それでムカッときて「お前弾いてみろ」ってギターを渡したら、これがバリバリだったんですねぇ。それがCharくんでした(笑)。当時彼は高校生の2年だったと思うんですが・・・。それでビックリして、いきなりギター弾くのが嫌になってしまいまして(笑)。






Charに引導を渡されたっていうのはカッコいいですねえ!





そうなんです(笑)。それで彼に、「高校卒業したら自分の仕事全部あげるから」って言って、ディレクター、いまで言うプロデュース業にチェンジしたんですね。でも音楽業界はけっこうミュージシャン天国みたいなところがあって、ミュージシャンであれ、プロデューサーであれ音楽ビジネスそのものがとても素晴らしい仕事だったんですよ。だから、ドロップアウトしたという気持ちはなかったです。

そうしてプロデューサーを続けているうちに、チェッカーズと知り合って、彼ら7人が久留米から上京して準備をしているときにですね、ちょうどアップルコンピュータが発売されまして。それでまた「世のなか変わっていくんじゃないかな」ぐらいに思っていたときに、ソフマップが高田馬場でパソコンを売っていたんですね。






電話で通信販売をしてたとか。





そうです。朝日新聞を見たら、パソコンソフトのレンタルをやってるって載ってて、「これオモシロそうだな」って思ったんです。それで高田馬場に行って、ソフマップ創業者の鈴木慶さんに会って。当時は10畳間の壁に「目標売り上げ50億」と書いた紙を貼っていましたね。「なんだこのエネルギーは!」と驚かされて。先ほどのミュージシャンたちと同じ眼をしてたんですね。それですごく仲良くなりました。

また、当時私もチェッカーズがチャートのベスト10に3曲くらい入るような勢いで、とくにチェッカーズの場合は音楽だけじゃなくショウビジネスの完成形みたいな感じがあって、「区切りがついたかな」と思っていたんですね。それで、鈴木さんがやっていることのほうがオモシロそうだなって、興味を持ったんです。






でも、当時はプロデューサーとして安定した地位を得ていたんですよね。それは捨ててもいいと?





そうですね。「安定ということは下がってる」ということですからね。それと、じつは音楽プロデューサーのときに、ポニカというメーカーからすでにゲームを出していたんです。早稲田大学のコンピュータ研究会の人たちと、「ゴミムシクン」というゲームを作ったりしてました。





ゲーム業界に移る下地は、音楽時代からできていたんですね。





そうです。このときの出会いは、ハッカーの設立に繋がっています。また、当時PCブームでPC雑誌が各社から続々と創刊されていたので、出版社の社長をやっていた知り合いに「PC雑誌を出しませんか?」と持ちかけたんです。雑誌を作ればライターが集まって、ノウハウも集まると思って。それで「ハッカー」というPC雑誌ができました。恥ずかしい名前ですが、後発なのでインパクトのある名前にしたんです。





ハッカー誌は、当初はアングラなPC雑誌にするつもりはなかったんですね(笑)。




まったく思ってなかったんです(笑)。そしたら誌名に惹かれて、そういうのが好きな人が集まってきて。そのライターの人たちがゲームにも詳しくて、ちょっと怪しくてオモシロい商品のアイデアがいろいろ集まってきた。それで、それらのアイデアを実際に作って販売するために、ハッカーインターナショナルという会社を作ったんです。





どうしてそうした商品を売ろうと思ったのでしょうか?





ちょうどそのころ、メーカー各社の協定、締め付けに対してアンチでやりたいって気持ちがあったんですね。でもよく誤解されるんですが、作っている商品は法に触れているわけじゃないんですよ。





音楽業界にいたので著作権関係の知識があった?





そうです。音楽業界は法律のきちっとしたルールでやっていく世界でしたので、その影響が自分のなかにもありましたね。だから、法に触れるものを作ろうと思ったことはないですね。





最初に手掛けたのは、ファミコンを改造するハッカージュニアですよね?





そうですね、あれは限りなくグレーゾーンですね(笑)。




ハッカージュニアは任天堂と法廷で争われましたよね(笑)。





守秘義務があるのでしゃべれませんが、任天堂さんとはすべてにおいて和解してますよ(笑)。





和解しているんですか!?





はい。裁判はハッカージュニアの製造をやめたずっとあとになりますけど。その前に、ハッカージュニアはめんどうなうえに儲からないんで辞めたんですね。




それでソフト開発をしようと計画されたわけですか?





いえ、ハッカージュニアをやっているときに、技術のあるかたからソフトの持ち込みがあったんです。それが最初の「ディスクハッカー」です。バックアップの需要があるという意見は、流通さんなどから聞いていましたね。






アイデアがあって開発したわけではないんですね。





はい。ハッカージュニアは私のアイデアですが(笑)。あのころは秋葉原を根城とする神と呼ばれる人が何人かいましたね。そうした方々の協力があって、ハードからうまくソフトに切り替えられました。






しかし、任天堂の正規の資料もほとんどないのに次々と開発していったのは、かなりの驚きなのですが。





資料がないから、たいした内容のものがないんです(笑)。また、中身が弱いからエロ系が多くなるんですね。自分たちではセミアダルトって言ってましたが。





資料がまったくない独自の開発だったわけですね。





そうですね。マニアックな人が趣味で作る、本当の意味での自主制作で始まりました。





けっこう多くの開発会社がかかわってたわけですよね。





今はPC系で大手になられた会社もやられていましたよ。





ということは、当時ハッカーから出ていたPC用ゲームの移植作は、本家本元のメーカーが開発していたわけですか!





任天堂のオフィシャルでは出せないソフトを作りたいから、ハッカーで出していたわけです。





こうした開発会社は多数あったようですが、ハッカー自身に別のブランドはあったのでしょうか?





PCエンジン初期にゲームエクスプレスというブランドになりました。ハッカーという名前は不良性があってよかったんですが、本当に犯罪者っぽくなってしまって(笑)。これはよくないと思って変えました。それからは、ハッカーは発売元になりましたね。





マップジャパンという会社も設立されたようですが?





ハッカー誌の名前と内容にズレが出てきてしまったので、この本を別の名前に変えたんです。それで、ハッカーインターナショナルもマップジャパンという名前に変えたんですね。





PCエンジンに移られた理由はとくにあるのでしょうか?





PCエンジンは、CD-ROMでゲームが出せるとわかったので参入しました。Huカードはもともとビーカードという名前のPCカードで、著作権法に触れないとわかっていましたから。





MSXでもハドソンがビーカードを採用していましたね。しかし、CD-ROMを動かすカードを自作されたのは技術的にすごいと当時から話題だったのですが、開発者はハッカー時代から繋がりのある方なのでしょうか?





いえ、新しい方ですね。世の中ですね、鍵を作る人より開ける人のほうが多いんです(笑)。ゲームエクスプレスカードとCD-ROMのセットで売って、CD-ROMだけのハードには対応しないようにしてましたね。





PCエンジンDuoじゃないと動かないようにしてたんですね。





Duo以前のシステムで動かすと、法律的に限りなくグレーになるので、それはよくないと思いまして・・・。






PCエンジンではかなりの数のゲームを出されてましたが。





PCエンジンはハッカーのファンが多くて、わりと売れたんです。直接は言われませんけど、NECさんからは感謝もされてました。うちのソフトがハードの普及に役立ったみたいで(笑)。





では、NECからは当時おとがめなどはなかったのですか?(笑)





なんにもないですね。また、PCエンジンのときはかなりいいところが開発してくれまして。画面を見るとわかると思うのですが、有名な絵のキャラクターの麻雀ゲームとか(笑)。





あれは有名ですよね。某トゥルーラブ麻雀ですよね(笑)。





そうです(笑)。けっこういろんなところがやりたかったようですね。うちは支払いもきちっとしていたし、べつに怖い会社じゃないですから。





それが不思議ですよね。こういう業界にいながら、そういうところとつながってない。





それはセミアダルトだからですよ。壁を越えないのが大事です。越えたらおしまいですね。日本に住んでいる以上は法律に触れないっていうことは絶対大事ですね。





PCエンジンのあとも、ハッカーはマップジャパンとしてゲームを出されていきますよね。プレイステーションではなぜ正規ライセンスメーカーとして参入されたのですか?





一番の理由は、当時のソニーのやりかたが好きだったからです。初期のプレイステーションはゲーム業界の流通を破壊していったので、これはゲーム業界に新風を起こしてくれると思いまして。





ハッカーの姿勢と通じるものがあったんですね。





ソニーさんの「ゲームビジネスの新しい形をを造る」というハッキリとした目的に感動しましたね。ただ、それからゲームを作っていくうちに他メーカーの参入が増え、2,800円などのベスト版も出て、そしてなにより自分がゲームをやらなくなってしまった。それで、キチっとしているうちに終えて新しいことをやりたいと思って、ゲームは辞めてしまいました。





ゲーム業界に名残はなかったのでしょうか?





これはしょうがないんです。エンターテインメントをやっている以上、観客の立場ならいいけど、作り手はユーザーのはるか先を行ってないといけない。けど私がゲームをプレイしなくなってしまったので、そうした自信がなくなってしまったんですね。






以上。
このあとにもゲーム業界を去られたあとの萩原氏のインタビューが続いていくんだけど、興味がなかったのでここでカット(失礼)。



うーむ、萩原氏の反骨精神はすごいですな。
昔書いたけど、私がハッカーの作品との出会いはストリップファイター2。








正直私の場合、ハッカーよりも西武企画のほうが知ってる。
西武企画というのは、スーファミでアダルトゲーム出していたメーカーのこと。「SM調教師 瞳」シリーズが有名。






・・・なぜかオープニングは実写・・・怖。





では西武企画がどうやってスーファミで非公認ゲームを販売していたか知っている人はいるかな?インタビューで萩原氏が言っているように、ファミコン時代に任天堂はハッカーの非正規販売にムカついて裁判を起こしてる。だからスーファミの頃は、さらにライセンス管理を厳重にして規格外のカートリッジやロムデータ書き換えによる生産を封じた。つまり、ライセンス管理を厳重にすることで非正規販売の撲滅をもくろんだわけ。

だから非正規ソフト開発会社はスーファミから撤退を余儀なくされた。ハッカーでさえスーファミをあきらめ、活躍の場をPCエンジンに求めたくらいだし。そんななかで、西武企画は画期的かつ合法的な方法でスーファミで非正規ソフトを販売。

その方法とは、中古ゲームショップなどで不良在庫ソフトを大量に買い込んでカートリッジを分解し、元のロムが入っていた部分に西武企画のロムを差し替えたあと、カートリッジにラベルを貼ってオリジナルパッケージに入れるという荒技を使用した。この方法で、任天堂規格のカートリッジを使って、しかも書き換えなしで自社製品を売ることに成功したってわけ。法の抜け道は探せばあるってことですな。




おしまい







posted by ふうのしん at 14:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 企画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
SM調教師って本当にあったんだな
都市伝説と思ってた
Posted by   at 2009年07月11日 21:25
ディスクハッカーは小学生の時に
離れた電気屋の広告に載ってたんで
タクシーで買いに行きました!!

まあ今思い返すと買ったそれもコピー品でしたが(汗
当時はワクワクしました…
Posted by MEL at 2009年07月12日 01:28
任天堂やNEC-HEのライセンスなしでFCやPCEの周辺機器やエロゲーを発売したハッカーインターナショナルだが、ハッカーインターナショナルとは正反対的に技術力の高いゲームを多く生み出したのはセガとの縁のあるゲームメーカー「ゲームアーツ」。 ゲームアーツは1985年に宮路兄弟(宮路洋一、宮路武)の手によって創業したゲームメーカー。最初期はテグザー、ファイアーホーク、シルフィード(PC版)、HARAKIRI等の数多くの1980年代のPCゲームの開発・発売を手掛けていたが、1990年よりメガドライブのサードパーティのソフトメーカーとして参戦! ロムカセットでは「ぎゅわんぶらあ自己中心派 片山まさゆきの麻雀道」、「アリシアドラグーン」、「雀皇登龍門」、「Jリーグチャンピオンサッカー」等を手掛けたが、ゲームアーツはメガCDに一番強く力を入れており、「ぎゅわんぶらあ自己中心派2 激闘!東京マージャンランド」、「LUNARシリーズ」、「天下布武〜英雄たちの咆哮〜」、「シルフィード(メガCD版)」、「ゆみみみっくす」、「うる星やつら ディア・マイ・フレンズ」等のゲーアーツが手がけたCD-ROMを活用したオリジナルゲームや「ライズ・オブ・ザ・ドラゴン」、「プリンス・オブ・ペルシャ」、「シムアース」、「ウィングコマンダー」等の移植も行うなどとメガCDユーザーからは「ゲームアーツはメガCDの守護神」と呼ばれる程のゲームメーカーとなっていた。 その後、32bit時代ではセガサターンでもCD-ROMを大活用したゲームも多く作られたが、ドリームキャストの頃になると…セガがハード事業の撤退のニュースを聞いてしまい、ゲームアーツも元気を失ってしまった…。
Posted by マイケル村田 at 2013年09月10日 20:51
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