参考資料
ファミコン通信1990年12月7日号特別付録「ハンディゲームオールカタログ」
ゲーム批評2001年3月号「なぜいま携帯ゲームなのか」
コンテニュー2004年4月号「ゲームボーイ総力特集」
ファミ通2006年3月17日号(900号)
携帯ゲーム機の歴史
ゲーム批評より抜粋
80年4月
ゲーム&ウォッチ(任天堂発売)。
82年6月
ゲーム&ウォッチマルチスクリーン(任天堂)ドンキーコング発売。化粧品のコンパクトのように開いて遊ぶ形態が独特。任天堂が初めて「十字キー」を採用した作品。
89年4月
ゲームボーイ(任天堂)発売。
命名は糸井重里氏。
89年11月
リンクス(ATARI)発売。米国のカラー液晶携帯ゲーム機。輸入品、ソフトの少なさ、ハードの大きさなど、問題点を挙げればきりがないハード。
90年10月
ゲームギア(セガ)発売。
8ビットCPU、バックライト付きのカラー液晶を採用。
TVチューナー(別売り)でテレビも観れる。
93年6月
ゲームボーイ、9800円に値下げ。
94年5月
ゲームボーイ、8000円に値下げ。
94年11月
ゲームボーイブロス発売。本体カラーは赤、黄、緑、白、黒、スケルトンの6色。8000円。色が変わっただけで初代GBと同じ。
96年7月
ゲームボーイポケット発売。6800円。本体の色は赤、黄、緑、黒。デザインの洗練さに加え、操作感も改良された。
96年10月
ゲームボーイポケット銀発売。7800円。特別仕様GBの先駆け。以降、特別カラーやキャラのプリントものなど、さまざまな特別バージョンが発売、製作されるようになる。
98年2月
ゲームボーイポケット、5800円に値下げ。
98年4月
ゲームボーイライト発売。6800円。
色はゴールドとシルバーの2色。バックライト装備で闇の中でも遊べる。
98年10月
ゲームボーイカラー発売。8900円。
32000色中、56色同時発色可能なTFTカラー液晶を採用。
ネオジオポケット(SNK)発売。
16ビットCPU搭載。液晶画面はモノクロ8階調。7800円。本体カラーは8種類。
98年11月
ゲームボーイポケット、3800円に値下げ。
99年3月
ワンダースワン(バンダイ)発売。4800円。
16ビットCPUとモノクロ8階調の液晶を採用。縦でも横でもプレイ可能なデザインが特徴的。
ネオジオポケットカラー発売。8900円。
下位互換あり。TFT液晶に変更。4096色同時発色可能。
性能は携帯機の中でもトップクラス。
99年5月
ゲームボーイカラーが6800円に値下げ。
99年10月
NEW!ネオジオポケットカラー発売。6800円。
本体がコンパクトになる。
2000年12月
ワンダースワンカラー発売。6800円。
2000年までの歴史だけど。
PCエンジンGTやキッズギアがスルーされているのはちょっと悲しかったり。まあPCエンジンGTはHuカードの作品がそのままプレイできるってだけだからソフトのオリジナリティは皆無なんだけども。バーチャルボーイやポケットステーション、ビジュアルメモリ、たまごっちなども携帯機とは呼べないのだろうか。たしかに微妙なポジションだけども。
以下、コンテニュー2004年4月号「ゲームボーイ総力特集」より抜粋
ゲームボーイができるまで 横井軍平の発明秘話
ある日、任天堂の山内社長の専属運転手が風邪を引いた。そのとき、たまたま、中古の外車に乗っていた横井軍平氏が、社用車キャデラックを運転することを頼まれる。そこで、新幹線の中の退屈しのぎとして「小さな電卓のようなゲーム機」のアイデアを話したところ、直後の会合の席で、山内社長とシャープの社長が隣り合った。シャープは電卓世界一のメーカーということで、「風が吹けば桶屋がもうかる」を地で行くように、
「小さな電卓のようなゲーム機」=ゲーム&ウォッチ
は、実現へとこぎつけたのだ。
ゲーム&ウォッチの大ヒットは、赤字に苦しんでいた任天堂を救い、黒字体質へと変えた。ファミコンのブームが巻き起こり、携帯ゲーム機は忘れ去られたかのようだった。しかし、水面下では、横井氏が2人の部下に「ゲーム&ウォッチのマルチソフト対応」の研究を命じていた。のちに、糸井重里氏が「ゲームボーイ」と命名する製品である。
横井氏たちは悩み抜いた。ひとつ、ファミコンより割高にしてはいけない。ふたつ、ディスプレイとして液晶を積まなければならない。このふたつを両立させるのがムチャなことは、素人目にもわかる。無茶が可能になりそうな目途がついたのが、ファミコンの発売から5年たった、89年だったわけだ。
まず下された決断が、モノクロ画面の採用だ。
ハードの設計は、ファミコンのノウハウを持ってこられるようにした。すると、「カラーも」と欲が出る。しかし、それだとせいぜい2〜3時間しか電池がもたない。また、当時の液晶の品質では、カラーは屋外では光が強いと見えなくなった。実用を考えると、白黒に戻るしかなかったのだ。
当時は現在の携帯電話やDSで使用されている大容量のリチウム電池なんか無かったからね。持続時間&コストを一番に考えた場合、モノクロを採用したことは理にかなっていて、とても実用的な携帯ハードだったんだなあと。
それでも、いくら計算しても値段が合わない。
削れるだけ削っても、まだ足が出る。横井氏はハードと格闘するうち、液晶テレビをばらすと、チップオングラス(ガラス基板上に、直接LSIチップを実装する技術)に出会い、コストの引き下げに成功したという。
そうして、一応の完成にこぎつけたゲームボーイも、大きな落とし穴が待っていた。電卓用のTN液晶を採用した試作品は、電卓と同じく斜め45度から見ると、見やすい。横井氏も、基板上で動く画面を見て、よしとしていた。しかし、ケースに収められた完成品を初めて手に取った山内社長は、おもむろに真っ正面から見て、
「なんだこれ。見えへんやないか」
と言ったのだ!
弁当箱と呼ばれた初代ゲームボーイは、重くて電卓のような持ち方はできない。ユーザー第一号の山内社長は、ごく自然に目の高さに持ち、激しい違和感を覚えたのである。電卓の延長から始まったゲーム&ウォッチ、その「マルチソフト対応」という出発点そのものが、罠になっていた形だ。
横井氏がOKを出した直後、シャープは40億円をかけて、専用の工場を作っていた。横井氏は、一時自殺まで考えたという。幸い、シャープの営業マンの一言から、見やすいが動作の遅いSTN液晶でもゲームが成り立つというデータが採れた。ふたたび試作品を見せに行った横井氏に、山内社長は、
「ああ、これやったらいいやんか」
のひとこと。
あらゆる意味で任天堂らしいエピソードである。
このエピソードを見ると、横井氏はかなり苦労されたみたいです。シャープが40億円かけて工場作って、出来た試作品を「見えへんやないか」とダメ出しを喰らったら、精神的なダメージは相当なものだったのだろうなと。
ゲームボーイの価格を少しでも下げるため、横井氏は削れる機能はとことんまで削ったわけですが、通信機能だけは残した。この機能を残したことで、発売から2ヵ月後、ゲームボーイを大ヒット携帯ハードにのし上がらせることになる「テトリス」、96年にゲームボーイを復活させることになる「ポケットモンスター」に繋がっていくことを考えると、横井氏はとんでもなく凄い人だったんだなあと改めて再認識させられます。
ゲームボーイの最初のライバルはゲームギア(洋ゲーオンリーのリンクスは速攻で消えたので除外)。その後、ポケットモンスターで息を吹き返したあとにワンダースワン、ネオジオポケットが登場(第2次携帯ハード戦争)。ここからはなぜゲームボーイだけがシェアを独占できたのかを考えてみますた。
まずゲームボーイとゲームギアを比較すると、それはもう持続時間。これに尽きる。私もゲームギア所有してたけど単三電池6本使う上に、持続時間は2、3時間くらいなもので燃費が悪すぎる。バックライトを装備しているのが裏目に出たかたち。電池代がもったいないから、いつもACアダプタ装着しながらプレイしてた。・・・コレ、よくよく考えたら携帯ハードじゃないじゃん!みたいな。
「電源があるところで寝っころがりながらプレイできるゲーム機」
って感じ。なんじゃそら。
それに加えSTN液晶だったことが痛い。ソニックなどの高速でスクロールするゲームは残像がひどく目が痛くなった。これはGBのマリオとかもそうだったけども。ゲームギアオリジナルの作品も少なく、大半が移植作品だったのも残念。まあそれがセガの特徴であったとも言えますが。価格も19800円と高価だったしなあ・・・。
次にワンダースワンを考えてみる。
ワンダースワンが登場したのは1999年。つまり、GBもすでにカラー版が登場しているのにも関わらずモノクロ液晶だった。4800円という低価格は魅力的だったけども、4ヶ月前にはゲームボーイポケットも3800円になっているわけで・・・。そうじゃなくても、GBはポケモンだ、シレンだ、ドラクエモンスターズだ、遊☆戯☆王だで盛り上がっている最中。
ワンダースワンの実力が試されることになったのはカラー版が発売されてから。同時発売のFF1は話題になったね。スクウェアはその後も魔界塔士SaGaやロマサガ1、フロントミッションなどのヒット作をリリース。価格は6800円。安い・・・と思ってしまうけども、その時はGBCも同価格になってる。WSCとGBCとの決定的な違いは液晶画面。GBCはTFT液晶なのに対し、WSCはSTN液晶。つまりゲームギアとさほど変わらないってこと。ただしバックライトが無い分、燃費は良かった。
バンダイのコンシューマ事業部の東海林氏は当時、以下のようにコメントしていたらしい。
以下、ゲーム批評2001年3月号より
「今のバンダイにとっては、コストや液晶の確保のしやすさなどを考えるとこれがベストバランスなんです。任天堂さんのように長年携帯ゲームをやっておられる会社には液晶会社との信頼関係がありますが、我々はまだこのジャンルで日が浅い。TFT液晶を採用するとなると、かなりのコストがかかり、今の価格には収まらなくなる。液晶の生産、確保が間に合わず、ハードの供給が滞ってしまう恐れがあります。そこであえてFSTN液晶の採用になったわけです。ただ技術は日々進歩しています。WSCは今後も改良を重ねていくつもりです。」
GBCとWSCは同価格なのに、任天堂がTFT液晶を採用できたのは、それまでの実績と信頼関係、生産ラインができあがってたからと言ってる。記事によるとWSCは初回販売台数30万台を2日間で達成したものの、実は89万台の受注を受けていたらしい。販売できなかった理由は半導体の生産が追いつかなかったのが原因。ひと昔前のファミコン時代みたいな出来事ですな。
個人的には、WSCは魔界塔士SaGa、リヴィエラ、ギャザビ専用機だった。オリジナルのタイトルも素晴らしいものがあったけど、大半が続編&リメイク。スクウェア作品を除き、テトリスやポケモンのようなヒットには恵まれなかったのも痛い。ただ、ゲームギアよりはサードパーティに恵まれていた。
・・・考えてみりゃゲームギアのサードパーティーで頑張っていたのはコンパイルだけ?。「魔導物語」とか、「アレスタGG」シリーズとか「ぷよぷよ通」とか・・・。アトラスやナムコもソフト出してくれたけども。
その後、TFT液晶を搭載したワンダースワンクリスタルが登場するも時すでに遅し。市場はGBと互換性のあるゲームボーイアドバンスにとってかわられてしまった。
ネオジオポケットは所有してなかったから詳しくは分からないけど、ゲーム屋の店頭でプレイした感覚としては、コントローラーに違和感ありまくり。あの丸っこいボタンでは操作しにくかった。あれなら普通に十字キーにしてほしかったなあと。ソフトは格ゲーモノが多かったから、波動拳コマンドとかをスムーズに入力しやすくする、つまり、ジョイスティックの操作感を再現したかったんだと思うんだけども。
以下、ゲーム批評より抜粋
結局、なぜ売れなかった?
ハード、ソフト共に高いレベルにあるNGPだが、実際にはロクに触ったことがない人が多いはずだ。人々に「これで遊んでみよう」と思ってもらえなかった。それがNGPの敗因と言えそうだ。ではなぜそうなってしまったのか?
携帯機&格闘ゲームの組み合わせに不信感を抱く人が多かった
格闘ゲームをメインにやる人の多くはアーケードゲーマーだ。
「格闘ゲームはゲーセンでやるから面白く、携帯機でわざわざやるものではない」
と思う人も多いだろう。これはもちろん、「ゲーセンのコンパネでプレイしたい」、「対戦相手がいないと面白くない」という気持ちもあるだろう。だが、
「携帯機に移植された格闘ゲームなんてチャチに違いない」
という先入観もあるはずだ。
また、携帯機をメインに楽しんできた人の多くはRPGやパズルを楽しむ人たちで、
「難しい入力や反射神経が必要なゲームは苦手」
という人も多いだろう。
事実、携帯機でそのような激しい入力を必要とするタイプのゲームは少ない。というより、それまでの携帯機(つまり事実上GB)は、お世辞にも格闘ゲームに適したハードとは言えなかった。
格闘ゲーマーが「携帯機で格闘なんて」と言い、既存の携帯機ユーザーが「僕は格闘ゲームやらないから」と言うのでは、
『格闘ゲームをウリにした携帯機』
に誰も振り向かないのは当然。
うーむ、そのとおりだと思う。
たとえ素晴らしい完成度の格ゲーがNGPで発売されていたとしても、それらの先入観から敬遠されてしまう。NGPのSNKのリメイク格ゲーって全部キャラがデフォルメされてたじゃないですか。あれではゲーセンでバリバリプレイしていたハードユーザーは振り向かないだろうなとは思ってた。完全に戦略を誤ったんでしょうかSNKは。結果論で言ってしまうのは卑怯なんですが。
ゲームボーイが成功したのはいろいろな要素が絡んでいる。
1、性能よりも携帯機としての利便性を第一に考えた横井軍平氏のアイデア
2、テトリスの独占販売権取得
3、サードパーティを含めた良質なオリジナリティのある豊富なソフト
4、通信機能を最大活用したポケットモンスターの登場
1に関しては前述しているのでハショります。
2は、ちょっと前にも書きましたが、もう一度補足。
国内ではセガがテトリスをアーケードで出してましたが、ソ連で開発されたこのテトリスの版権は、ソ連→ミラー社→アタリ→セガと、複雑な流れを組んでいた。任天堂が確認したところ、ミラー社が取得したのはパソコンでの販売権だったわけ。これによりアタリ&セガの版権は無効となり、任天堂はソ連から直接権利を取得して独占販売権をゲットしたという出来事。これがなければゲームギアでもテトリスは発売されてたんだろうし、大きな事件だったですね。
GBテトリスは400万本以上の大ヒットとなり、ゲームボーイ1の功労者であったわけです。このテトリスの大ヒットがなかったらもしかするとそのまま携帯ハード市場は縮小していった可能性もあるのでは。テトリスのおかげでゲームボーイは一気に普及し、これによって携帯ゲームは売れるという印象をメーカーに与え、それが3のサードパーティの加入を促した印象。そしてポケットモンスターの登場により、収集や育成、交換、そして対戦という新しいゲームの形を確立させることに成功。
なんだかんだ言っても結局、ゲームギアやその他携帯ハードが敗れた理由はソフトのラインナップに起因することは明らか。三国志で例えるならば、晩年の諸葛孔明のような状態。いくら孔明(ハード)が優れていても、有能な武将(ソフト)がいなければ勝てない。
横山光輝三国志58巻より

・・・例えがおかしくてすいません・・・
前述したように、液晶画面が見にくいこと、稼働時間が短いということも大きかった。その中で、「携帯する」という利便性を第一に考えて作られたゲームボーイが1番優れた携帯ハードだった、それだけの話だったのかもしれない。
おしまい



メサイアの横スクロールアクションゲーム。太助(魚屋)とキャピ子(女子高生)が豪徳寺博士に無理やりシュビビンマンに改造され、「人間に戻りたければ悪の組織魔空団を18日で倒せ」と脅迫じみたオープニングからゲームはスタートする。
改造や修理にも金を要求してくる博士には脱帽。展開としてはベタなものであるが、シュビビームの使用法や、演出が面白く、遊べる内容のアクションゲームだった。2人プレイのほうが面白いのは言うまでもない。同士討ちできるので、当たり判定には気をつけよう。
メールはこちらまでhuno193@yahoo.co.jp

















以前同じようなネタやりましたっけ?
GBの強みに関しては、「やたら頑丈」というのも有名ですよね。
山内社長がいきなり試作品を床に叩きつけて耐久性を試したとか、湾岸戦争に米兵が持っていって、空爆の瓦礫から掘り出されたものが普通に起動したとか。
まったくおっしゃるとおりだと思います。
「2番煎じ」でももっと発売が早ければ、そこそこ対抗できたのではないかと思います。
やはり、セガ、SNK、バンダイは市場参加が遅すぎたのでしょうね。
「歴史にIFはない」と言いますが、別の歴史を見てみたい気もします。
ネオジオポケットの十字キーはかなりやりやすかったです
実際プレイしてみると十時キーの中では一番の使いやすさですよ
自分が長時間携帯器でプレイしたとき
斜めの押しやすさや→←→のコマンド入力の時や一回転をさせるときの差を
ゲームボーイの十字キーと比べると
各段とやりやすい使用になっています
自分としては今でも一番やりやすいものと思っているので
もしよろしければもう一度探してプレイして欲しいくらいです
あくまで自分の感覚と言ってしまえばそれだけなのですが・・・
結局、それで倒産に至ったんですから
(ネオポケは競売でも買い取り手がつきませんでした)
携帯機と格ゲーの喰い合わせが悪かっただけでなく、ローンチタイトルがひどかったり、「I'm not BOY」を体現するかのような、取るに足らないタイトル群・・・すなわち、ビデオポーカーだの、ビデオスロットだの、バカラだの・・・
これでユーザーが付くと思う方がおかしいんじゃないでしょうか?安定した場所ならともかく、電車内で遊んだりするにはアクションメインでは厳しいものがありますし・・・
「ネオ・バカラ」あたりのタイトルは、クソゲー以前の問題で、この手のコインオペ大前提の素材をパッケージ売りしようという発想そのものが終わってます・・・
なんだか、ゲームウオッチ時代の、任天堂の半分〜10分の1の開発期間で作られた電子ゲームを思い出します。
任天堂同様の老舗であった増田屋はともかく、タイアップに頼りきった挙句全く再現できていない会社、粗製濫造を極めていた会社などなど・・・
ちなみに、当時ボタン電池は結構高価でした。子供の小遣いでは、一度電池切れを起こすと、交換用の電池を買うお金に困るわけで・・・
そういう事情も任天堂は理解していたんでしょうね。
今でこそ100均で安価なアルカリ電池が買えますが、当時単3アルカリ6本(コンビニで約630円)使って3時間では、ゲーセン行って遊ぶのとほぼ変わらないコストなんですよね・・・
WSはもう、「遅すぎた」事と、開発途中で横井軍平氏が亡くなられたことが不幸としかいえません・・・あの価格なら、GUNPEY専用機として買う価値はあったと思いますから・・・
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最後にこの度のご連絡で不快な思いをされた方には誠に申し訳ございません。重ねてお詫び申し上げます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E4%BA%95%E9%87%8D%E9%87%8C#.E5.82.99.E8.80.83
最初のGBが単三電池4本で動いていたのに対し、今のDSはフル充電で同じくらいの稼働時間。 本当に進歩したなあと思いますw
>ゲームギア
登場時の主力ソフトが「ソニック」だったことも問題があったと思います…。
普通のテレビ画面でもやっていてもすぐに眼が痛くなってくるのに、あの小さい画面で縦横無尽に動き回られるともう(苦笑)
今回の記事は、【ゲームボーイ】の事ですね。しかし本体は色々ありますがこの、【ゲームボーイ】ほど 種類があるのは無いですよね。まあ、携帯ゲームだから出来るというのもありますが……。
ゲームボーイ誕生にそんなエピソードがあったなんて知らなかったです。
これは確かに死にたくなりますね(汗
最大の勝因はやはりテトリスかな〜という感じです
これが出てる時点では
ファミコンもBPS版しかなくて
操作性がアレでしたし…
初めてアキバに行ったのは
GBを買うためでしたが
ソフト8本抱きあわせとか
FCソフトと抱き合わせとか
そういう店しか残ってなくて
結局新宿で買いました
ポケモン発売直前は正直GBも撤退秒読みとも思える市場だったと記憶してます
そんな中、ポケモンを小学館の雑誌が強力にプッシュしはじめて、それが小学生メインに広まりました
正直、ポケモンが無かったらニンテンドウって今ゲームを出してないかもしれません、そんな気もします
ネオポケの十字キーは携帯機の中でもかなり高レベルの操作性です!
当時、SFCは家にありましたがほとんど兄専用になっていた自分にとってGBは特別な存在でした。
熱中し、ベッドに寝っ転がって毎日毎日プレイしてましたよ!
ある日、母が激怒して2階から雨の降る外に投げつけられましたが、それでも動いてて嬉しかったです。
今でも据え置き機よりも携帯機が大好きです!
グリグリするのが好きでした。
でも子供心にもネオジオポケットって、、、、売れるのか? って思いましたよ。あのゲーム機は