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2008年11月27日

竹内倫氏インタビュー「クソゲーが生まれる理由」について

ゲームプロデューサー竹内倫氏のインタビュー記事です。

竹内倫って誰?

うん、もっともな意見だと思う。
詳しい方なら知っているんでしょうが、私はこの記事読むまで存在を知らなかった(たいへん失礼)。竹内さんはデータイーストで、主に広報、営業、開発で活躍。ゲーム業界に入る前はデザイン業界にいらっしゃったとか。多方面で才能を発揮している凄い人。

資料は1998年発行の別冊宝島「このゲームがすごい!任天堂編」の竹内倫インタビュー「売れた時代の笑えない話」より抜粋させていただきました。




このインタビューで竹内氏は、ゲーム製作について突っ込んだところまでぶっちゃけてるで非常に面白かったです。注意点は、1998年当時の記事ですので、多少現在と違うところがあるかも。



ではスタート。



「僕ね、もともとこの業界のことをなにも知らないで入ったんですよ。その前はデザイン会社にいまして、MSX内臓テレビっていう商品のカタログを作ったりしてたんです。そのとき、MSXの他に気軽に触れるコンピュータにはどんなモノがあるんだろう?と資料を集めた。そしたら、どうも「ファミリーコンピュータ」ってのがあるらしいと。それが1985年ぐらいで。ああ、これがファミコンってやつかと。それぐらいの認識しかなかったの。」


うーん、どんな方にも歴史があるものですな(当たり前)。



「一方、当時のアーケードゲームメーカーっていうのは、ちょうど設立から10年目ぐらいを迎えていたんですよ。というのも、アーケード系でロケーション(ゲームセンター)を多く持たない中堅のメーカーというのは、現在(98年当時)、設立25年前後の会社が多いんですね。25年前といえば、空前のインベーダーブームの時代です。」


あれ。これおかしくない?
インベーダーブームって78、79年くらいのはず。この本が発行されたのが1998年。25年引くと73年になってしまう。それだけ。気になったのでツッコんでみた。



「つまり、多くの会社が多かれ少なかれ「今日では口に出して言うことがはばかれるような恩地」を受け、会社の基礎を築いたはずなんです。ただ、10年も経つとブームはなくなり、多くのメーカーが多角化に乗り出してきた。そういう状況のなかですよ、ファミコンが登場したのは。そしてそこでファミコンにいち早く参入したか、しなかったかで、その後の運命が大きく変わってしまった。」


>「今日では口に出して言うことがはばかれるような恩地を受けた」

これはインベーダーのパクリゲーを指してるのかな。たぶん。



「私が入った会社(データイースト)も同じで、アーケード以外に「会社の柱」になるものを探していて、そんな時に私が入社したんです。といっても最初はゲームのゲの字も、ファミコンのファの字も知らずにいて、それほど「ゲーム会社」に入社したという意識もなかったんです。」


遠藤雅信氏も入社当時、プログラムもまったくできないのに開発部に配属されたとインタビューで語っていたので、名をあげる人っていうのは、入社当時、素人の方が多かったのかもしれないですね。いや、素人意見ですけど。



「入社したのが86年の5月。データイーストが初めて自社ブランドでファミコン用ソフト「Bウイング」を出したのが、86年の6月。まさにリリース直前で、僕にとっては非常にタイミングが良かった。」

「というのは、当時のほとんどのアーケードメーカーがそうだったと思うんですけど、アーケードって開発力が問われる世界で、販売力はそれほど問われないんですね。結局、ロケテストで結果が良ければ、それで大丈夫だし、ちょっと?マークだったら、引っ込めちゃう。」

「だから、広報とか、いわゆるマーケティング的な部署がなかったわけですよ。当然、会社の中にはそういう人材がいない。ところがコンシューマの商品って、そうじゃないでしょ。音楽ソフトと同じように、いつ市場に投入するかがヒットの鍵になったり、広告によるイメージ展開が欠かせなかったり・・・。いろんな要素が絡んでくるわけですよ。」

「それでも僕が入った頃にはようやく、販売戦略みたいなことを練らなければいけないということに気がついたらしいんですよ。でも、人材はいない。そこで、デザイン会社でパンフを作ってたヤツが入ったから、アイツにやらせてしまえって。僕のところに全部まわってきた(笑)」

「それこそ、パッケージのラフデザインからマニュアルの作成。広告展開。ようするに、コンシューマに参入することで発生した新しい仕事はほとんど任されてしまった。いきなり社内では誰も知らない仕事をやることになったわけですよ。もちろん、私もそれまでにエンドユーザーに物を売ったことはないから、ホントのところ、なにもわからない(笑)。」

「とにかくわからないから、任天堂に直接押しかけて、パッケージの仕様を教えてもらい、マニュアルの原稿なんかも全部自分で書かせてもらってね・・・。となると、必然的にゲームにどっぷり入っていかざるをえない。それが結果的には、今につながってて、ホントにラッキーだったと思う。ナムコさんに聞きに行ったり、任天堂さんに直で行ったり。だから、仕事を覚えるのも早かった(笑)。」



・・・なんか微妙に遠藤氏と似たような境遇ですね。




出せば売れる時代

「なにが1番ビックリしたかって、商品が売れること。それまでは、広告代理店や広告のプロダクションにいて、いかに販売促進をするか、営業フォローをするかっていうことを日々考えていたわけですよ。ところが、そんなものはまったくない会社の商品なのに、出せば20万本とか売れちゃう。これはすごい衝撃でしたよ。なんだよ、コレって。」


80年代。出せば売れる時代か・・・
当時はゲーム雑誌はあっても、ソフトの概要しか分からず、購入してから作品の良し悪しを判断するしかないって感じだった。だから、誕生日プレゼントなどで親にソフトを買ってもらい、2、3日後、


親父 「どうだふうのしん、そのゲーム面白いか?」


私 「う、うん。面白かったよ」 ←すでに過去形



なんてのも当たり前。
実際プレイするまでわからないビックリ箱なわけですよ。なかには開けてはいけないパンドラの箱も多数存在しておりました。逆に期待していた以上の、ひょうたんからコマ的な作品もありましたが。

そういう意味で、ファミ通(当時ファミコン通信)が、86年の10月から始めたクロスレビューは非常に重宝した。いまでこそレビューのしかたに賛否両論あるものの、読者にはソフトを購入する目安としての効果はあったと思う。コンシューマーのレビューを最初に行ったゲーム情報誌はファミ通だった(違かったらすいません)。



「私がこの業界に入ったときはドラゴンクエストとディスクシステムが登場し、ファミコンの盛り上がりがピークにあった。ゲーム雑誌も出そろって。マル勝、ファミコン必勝本、ファミ通、ファミマガ、ハイスコアなんてゲリラ的な雑誌もあったね。ゲームメーカーにとっては夢のような時代。出せばとりあえず売れる。」

「だから、乱暴な言い方をしてしまえば、マーケティングなんてないんですよ。ファミコンで遊ぶ年齢層なんて考えてなかった。じゃあ、なにを基準にゲームを作っていたかというと、結局、作りたいものを作るだけ。一部のメーカーを除けば、どういう商品を出せば売れる、どういう経営戦略で作るかという思想が生まれたのは16ビットになってからでしょう。」



前述した話になるけど、結局、この頃はユーザー側の情報が少ないんですよね。今だったらインターネットで簡単に調べられるでしょ。プレイした人のコメントとかも参考になるし。当時は友達からの口コミなんかが主な情報源だった。

ゲーム雑誌でレビューが始まるまでは、「このゲームはこういう作品です」という説明はされていても、「面白いかつまらないか」という情報はまったく無く、内容がよく解らないまま購入してしまう人が多く存在してた。だからどんな作品でも幅広く売れたんだと思う。ゲーム会社も群雄割拠の戦国時代だったから、今みたいに、「このメーカーなら安心して購入できる」なんてのもわからなかったし。



「ファミコン時代は半導体の供給が追いつかなくて、ソフトの生産に半年間かかることがあった。スケジュールはズタズタでゲームは遅れるもんだみたいな風潮だったからね。最悪の時はマスターロムを入れるのが(完成したロムを任天堂に納品すること)発売日の半年前。任天堂さんにはっきり言われて、今でも覚えているのは、

「発注っていうのは、発注書とマスターロムと印刷物の版下と入金の確認。この4つのなにが欠けても動かない」

ってこと。半年前から説明書とかの版下を入れなきゃいけないわけですよ。だから、放り込んだ後に、バグが発覚してもそのまんま。発売の6ヶ月前で交渉事はおしまい。」




>バグが発覚してもそのまんま

オイオイ・・・でも6ヶ月前に納品ならその後、バグが発覚してもどうしようもないんでしょうね。それにしても、さすが天下の任天堂。強い物言いですな。いろいろな事情はあるんでしょうが。



「で、発売日が近づいてくると「いついつに何万本あがります。どこに納品しましょうか」と聞いてくるんで、こっちから指示を出して納品してもらう。でも、その頃には開発部は次のソフトにかかっているから、ゲームの内容を忘れちゃってる(笑)。ユーザーから問い合わせがきて、誰も答えられないみたいな、冗談みたいな話もありましたよ。」


メーカーは発売の半年前にマスターロムを任天堂に納品し、任天堂がそこからパッケージングとか施して、完成品をメーカーに納品。

でも発売の6ヶ月前にマスターロムを任天堂に手渡してしまえば、いざ発売となったとき、覚えてないのもしかたがないかも。このシステムを今も適用されてるんですかね任天堂は。ユーザーからの問い合わせに誰も答えられないってのには、なんかウケた。



「あとは、いわゆる「クソゲー」と呼ばれているソフト。そういうゲームは僕が関わった中にもありましたね(笑)。よそのメーカーのゲームがヒットしたら、偉い人が開発部にやってきて、「コレをゲームにしろ!」とドカンと置いていくこともありましたから。」


うむ。
売れた作品の類似商品を作れというお決まりなパターンですな。



「当時関わっていたソフトに「魂斗羅」に似たゲームがあったんですよ。タイトルは忘れちゃったことにしてください(笑)。あれは広告作りが辛かったですね。「魂斗羅」ってテンポがいいゲームだったじゃないですか。BGMもよかったでしょ。コナミさんが独自開発のチップを積んでいて。スクロールのアクションシューティングとして、アーケードの移植としても完成度がすごく高かった。

ところが、その「魂斗羅もどき」のゲームは、

「・・・まずいんじゃないの」

ってデキだったんですよ。
ウリは2人同時プレイしかねーやっていう。
だけど、それでも出せばある程度は売れちゃうんですよね。ファミコンブームの真っ最中って、そういう笑えない熱がありましたから。そういう意味で、ゲームが1番盛り上がっていたのは、やっぱりファミコンのときでしょう。」



>まずいんじゃないの・・・
>ウリは2人同時プレイしかねーやっていう。

これはなんの作品なんだろう。「魂斗羅もどき」で「2人同時プレイ」っていったらディスクシステムの「グリーンベレー」が浮かんでくるんだけど、あれもコナミだしね。そもそも名作だし。データイーストの作品・・・。わかんないっす。



「ブームが加熱しているときって、なんでもいいから出してしまえって風潮になるんですよ。大切なのは、出すことだ的なね。ブームが加熱すると、そんな乱暴な風潮になる。で、そのとき管理職がなにを管理するのか。スケジュールを管理するのか、予算を管理するのか、クオリティを管理するのかとなると、どうしても、クオリティに関しておざなりになってしまうんですよ。言い換えれば、作っているゲームのクオリティが、どのレベルに達していれば合格点なのかわからない。」


スケジュール、予算を優先し、クオリティは二の次。
とりあえず出せか。ユーザーからすれば最悪な考え方ですな。当時はそれで売れてたんだからのう。悪く言えば、だまされていた部分もあるのね我々は。



「大作と呼ばれるゲームが登場するようになって、映画や音楽と同じように、ゲーム開発にもプロデューサーという立場が認識されるようになってはきましたが、当時のプロデューサー=管理者と呼ばれる方々には、そのゲーム内容全般(クオリティ、開発日程、予算など)をキチンと理解している人は少なかったんじゃないでしょうか。」

「極端な場合、完成形は作者とメインプログラマーの2人の頭にしかなかったりする。それがプラスに転じることもあるけれど、多くの場合はマイナスに働いて、クソゲーと呼ばれるゲームが生まれる。でも、出せば売れる的な状況の中では、管理者はスケジュールと予算を管理するだけになりがちなんですよ。」


「「オマエらに任せるから」という言葉が、若いスタッフの能力を引き出すのかというと、必ずしもそうはならない。結局、開発担当の「オマエら」というヤツらのレベルが低ければ、それがそのまま出てしまう。ゲームっていうのは、商品としてみた場合、そういうシビアな側面があるモノですから、遊べないゲームは煮ても焼いても遊べない。まあ、僕も大きな事は言えないけど(笑)」



>結局、開発担当の「オマエら」というヤツらのレベルが低ければ、それがそのまま出てしまう。

なるほどねえ。
これがクソゲーが生まれる理由か。経験してきた人が語ると説得力がありますな。出せばなんでも売れる時代の管理者(プロデューサー)は、作品の良し悪しなんかどうでもよかったんだろうね。だって、出せば売れるんだもん。もちろん、全てのプロデューサーがそうではなかったのでしょうが。・・・少なくともデータイーストにはそういう管理者がいたって事で。



あとがき
前述しましたが、ゲーム雑誌のレビューが、「出せば売れる」という荒んだ悪い風潮を打破した起爆剤になったんじゃないかなと思った。ユーザーに作品の良し悪しを情報提供することによって、あからさまに完成度が低いクソゲーは売れなくなったと思うし。・・・たぶんね


おしまい



12月2日追記
コメントありがとうございます。魂斗羅もどきは、ミッドナイトレジスタンス、パワーバレル、ドラゴンニンジャのどれかということになるのでしょうか。ちなみに、私はそのどれもがプレイしたことが無いのでまたくわかりません(涙)勉強不足で申し訳ない。ネットで見てみます。ありがとうございました。


関連

遠藤雅伸氏インタビュー「ゼビウス開発秘話」について

この記事へのコメント
パワーバレル乙
Posted by あ at 2008年11月27日 20:25
おそらく魂斗羅に似たゲームは
「ミッドナイトレジスタンス」だと思います。
Posted by かうんと at 2008年11月27日 21:33
それでもデータイーストは
いいイメージを持ってた人が
多かったかなと思います

家庭用に移植して欲しいのとか
まだまだあったんですが…

あと自分も
ミッドナイトレジスタンスに一票
Posted by MEL at 2008年11月28日 01:27
父よ! 母よ! 妹たちよ!

Posted by 000 at 2008年11月28日 03:57
ミッドナイトレジスタンスの発売は業務用が1990年。家庭用はメガドライブに1991年に移植。
1988年発売のファミコン版コントラと競合したとは思えません。

おそらく競合したのはドラゴンニンジャでしょう。似ていない?
いえいえ軍人が闘うという点では同じです。我々ゲーマー?の視点と広報の視点は違うということでしょう。

ちなみにドラゴンニンジャもアレはアレで良くできていたのですが、
演出&テンポに特化したコントラと、
演出&テンポで比較したらそりゃあ劣るでしょうね。
Posted by at 2008年11月29日 01:59
ファミコンにヘビーバレルという
コントラっぽいソフトがあります
アーケード移植でどちらかというと怒に似ていますが
ファミコンの話をしつつ、コントラ真似ろといわれて出来たのがアーケード移植作なのも妙な話ですよね。
しかし他には見当たらないですし
やはり6ヶ月以上だってしまったのでもう忘れてしまったんでしょうか

なぜかドラゴン忍者やカルノフはナムコから出てましたね。
どういう関係だったのでしょうか
Posted by うし at 2008年11月29日 18:30
ひょっとしてファイターズヒストリーもこんな感じに生まれたんだろうか
「これを作れ!(スト2持ってきて)」
Posted by   at 2008年11月30日 02:30
当時は、FLASHがなかったので6カ月は
しかたないんじゃないかな。
ずいぶん進歩したもんだ・・・
Posted by at 2008年12月01日 21:53
ROMをプリントから起こすのなら自社で半導体工場を持たない任天堂なら六ヶ月は当時のソフト供給数から見れば仕方ない気がしますね。
ゲーム用ではありませんが、仕事でROMの発注をかけて届くのが三ヶ月後とか当時わりとあることでしたので。
Posted by at 2008年12月02日 23:27
ミッドナイトレジスタンスは名作だと思いますが…

真面目に
Posted by カツトシ at 2008年12月04日 02:08
たしかにミッドナイトレジスタンスはおもしろかったです。
言われてみればコントラに似て無くもないけど、ショットがガスコンロのツマミみたいになってて360度方向に発射できたのが斬新でした。
Posted by at 2009年03月08日 09:34
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